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片桐飛鳥写真集

「理解を促すためのひとつの試み」
対話 平野敬子×片桐飛鳥

参加者:平野敬子×工藤青石×片桐飛鳥×久保田啓子

平野敬子、工藤青石、片桐飛鳥、久保田啓子

ーー最初に平野さんと片桐さんの出会いの話からお願いします。

片桐 平野さんのお仕事を印刷物で拝見して作品を見ていただきたいと思って連絡したのが出会いの始まりです。それから何回か新しい作品ができるたびに見ていただくことが重なりました。「Light Navigation」シリーズが生まれ2005年にフォト・ギャラリー・インターナショナルで展覧会「Light Navigation」を開催することになりダイレクトメールを作っていただいたのが、平野さんにお願いした最初の仕事となりました。
平野さんのお仕事に出会ったのはカリタの化粧品パッケージを印刷物で見たときです。光や透明感があり、それでいて凛とした強さを感じました。気になっていた要素の数々が集まって実体化されていると感じ、その仕事は写真とは何の繋がりもなかったのですが、これを手がけられた方に作品を見ていただきたいと思ってご連絡しました。
そして、初めてお伺いしたときに海を被写体とした「kuon」シリーズと、それ以前に同じ海を撮った「Pacific」シリーズ、それから「KAZE」シリーズの3種類を2回に分けて見ていただいたと思います。「kuon」と「Pacific」は同じ海を10年間見続けることによって見えてきた光を捉え、光そのものを画にしています。「Light Navigation」シリーズでは空を撮っているのですが30年ほど空を見続けることで生まれました。

ーーふつう子供の頃なら、野球をしたり友達と遊ぶほうに夢中になるのではありませんか。

片桐 子供の頃は野球もしたしプールで泳いだりもしました。ただ野球やそういったことは学校に行って友達と一緒に何かすることの延長線上にあるもので、自分の世界を探求することとはまったく繋がりのないことでした。
作品集をきっかけにいろいろ自分のことを整理して考えてみると、自分の世界を探求するようになったのは子供の時に身体が弱かったからなのかと思うようになりました。小学校の1〜2年くらいまでは1年のうちの何日間も寝て過ごしているような子供でしたから、天井だけ見て過ごしている日々が結構ありました。それってあまりにも悲しいから窓際に頭が向くように寝かせてもらい、窓のほんのちょっとした隙間から空を見て過ごしていました。隙間から見える空で一日を感じていました。

ーー写真を撮り始めたのはいつのことでしょうか?

片桐飛鳥
久保田啓子

片桐 作品集に「12歳の時にカメラを入手」とありますが、これは星を撮るためにニコンの一眼レフを入手した時のことです。星空の写真を撮りたくて家にあったカメラを手にしたのは9歳の頃で、ただカメラを固定してシャッターをバルブでカシャッと開け、何分間か経ったら閉じる、それだけで撮っていました。星の光を撮っていたのですが写っていたのは星の光の軌跡でした。これが私の写真原体験です。12歳の頃に星の光そのものを撮るために赤道儀という天体観測用の装置を入手し、自転する地球の地軸にそって星空の動きを補正し止まった点として星の光を追いかけ写す装置を使って撮影しました。そうすると目に見えない暗い星まで写ります。その赤道儀には天体望遠鏡も載せてあり、家にあったカメラでは望遠鏡にカメラを取り付けられないので一眼レフカメラを手に入れました。
 写真との出会いは星空を撮るところから始まりましたが、それは「光を捉える」ことでした。ありふれたものである空をただただ見続ける延長線上に星空があり、星の光があり、その光を捉えることが写真の始まりでした。「kuon」シリーズも「KAZE」シリーズも、物を撮る場合でも、あくまでも光として実体を捉え画にしています。私にとって写真とは光を捉えることです。「Light Navigation」は、写真を撮る前からずっと見続けてきた空の光を捉えて画にしたものです。空の光は当然太陽からの光です。
空のような変化のあまりないものを見続けるのは瞑想に近いことらしいです。痛みを緩和する技術について書かれた本で今年読んで知ったのですが。空や海や砂のように動きのないものをずっと見続けていると社会的なざわざわしたものと離れて、内なる自己と向かい合い、ものの本質がだんだん見えるようになるそうです。自分にそれができているかは分からないのですが、そうとは知らずに30年間空を見続けることで似たようなことをしていたんだなと思いました。
そうは言っても元気な時は普通に遊んでいました。今では元気にやっています。でも人と同じだけ肉体的に頑張っても同じ事ができなかったし、人と一緒にいない時間をまとまって持てたので、一人で空を見続けるような状況によって自分の中に何か生まれてきたものがあったように思います。
何かわからないけれど、はっきりあるというものを共有できるものにできないだろうかと思う中で見つけたのが写真と光でした。写真にするとあると感じているものがそのものではなくても物質として共有できる形になると思いました。

平野 はじめて私を訪ねてきて下さった時、目の前に並べられていく作品の発想力と技術の高さ、そして片桐さんの集中力には、ほんとうに驚きました。この若さでよくここまで昇華しているということに。他者の影響を大きくは受けていないと感じました。現代のように情報が氾濫する環境の中で、影響を受けていないということは奇跡に近いと思うのです。自分を律するストイシズム、とても貴重な存在であると思いました。それは写真に限らず創造活動全般に言えることだと思うのですが、孤立していることで純度が保たれる。片桐さんの作品と生きる態度に矛盾がないように感じたことを記憶しています。

工藤 その時にはじめて見た片桐さんの作品は「きれい」とか「完成度がある」とか、そういう形容で表わすのではなくて、「いいものだなあ」と感心したことを覚えていて、気持ちの良い体験でしたね。

片桐 星の写真を撮っていたとき、なんでそれを撮っているのか誰にも言わなかったけれども、目に見えないものが写ることで見えないものの存在を確認していたのだと思います。「kuon」シリーズも「Light Navigation」も私には見えているものです。実際に自分が感じているもの、見えているものを写真にすることによって共有できる。私の隣に立って被写体を見ても同じように見えることはないと思います。「Light Navigation」のようなシリーズは、できた瞬間というのはかなり判らないことが多いのです。何年か経って積み重なることによって、だんだんと理解できてきます。その場で理解しようとすると見えなくなるし、感じられなくなってしまう。なのでなかなか言葉にするのも難しい、言葉にしようとすると感じれなくなってしまう。理解することと生み出すことはまったく別チャンネルなんです。
だから写真というものは準備を整えればある限られた行為と時間で緻密な画を残せるものなので、とてもピッタリでした。

ーー今回の作品集についてお話をお聞かせ下さい。

片桐 去年、東京都写真美術館で企画展「光と影-はじめに、ひかりが、あった」(2006年12月23日-2007年2月18日)が開催されたのですが、そのとき出品作家の一人に選ばれました。その展覧会に合わせて出版しようということになりました。以前から作品集をつくりたいと平野さんにすでにお願いしてはいたのですが、突然に展覧会の話が持ち上がったのでスケジュール的に難しいのではないかと思っていたところ、平野さんや凸版印刷の方々のご協力とご尽力により出版することができました。

平野 片桐さんから東京都写真美術館への出品の話を伺ったとき、「作品集を作るなら今だ」と、直感的に思ったのですね。迷うことなく。それで、久保田さんに連絡をして、私の考えたプランをお話して、状況を組み立てていきました。印刷製版を凸版印刷にお願いしたいこと、久保田さんの新しく起こされた出版社から出版していただきたいこと等、とにかく限られた時間の中で最高の成果を生む為は、この方法しか考えられなかったですね。その時点では。


片桐飛鳥
片桐 この作品は平野さん以外の方にもいろいろ見ていただいていました。そのような中でも平野さんと作品を通して共有した時間は、私にとって特別なものでした。「Light Navigation」はとても大事なものでしたから、作品に対してエネルギーをもって向かい合っていただける方にお願いしたかったし、僕のなかでいちばん携わっていただきたいと思える方が平野さんでした。それで無理を承知でお願いしました。
もう一つの大きな理由が個人的にお会いして作品を見ていただくということはあったにせよ、世界に向けてのファーストステップでもあると考えていました。世界に向けて日本から出すうえで、平野さんは日本だけではなくグローバルなものの価値をつくっていかれる方だと思っていたので、ぜひお願いしたいと思いました。

平野 最初に片桐さんからお話を伺ったとき、まず、ものすごく難易度の高い、難しい仕事がはじまるんだなあということに頭をかかえました。片桐さんの作品はプリントで、いわゆる反射原稿なのですが、光という極めて抽象性の高い繊細なトーンを網点に置き換えることの難しさはすでに経験していましたので、物理的に可能なことなのかどうか、すぐに考えがまとまりませんでした。とにかく、この仕事は、凸版印刷のプリンティングディレクターの田中一也さんの感性と技術があれば、印刷物として物質化できるだろうということから設計を組み立てはじめました。次に考えたことは、少なくとも作品に至るまで考え続けてきたであろう時間にどれだけ近づけるかということが重要であるということです。片桐さんの人柄というか、真摯な態度みたいなものがそういうことを思わせる力がある人だと思うのです。だから許される限り、作品に対峙する時間を作るようにしました。考えれば考えるほど、やればやるほど可能性が広がってくる。昨日より今日のほうが進んでいるように思えるし、なによりも、こんなに美しい作品を広く伝えることができるわけですから。苦しくて楽しい時間でした。

ーー平野さんから最初にデザインを提案された時の印象は?

片桐 正直経験がないのでわからない部分が多かったですね。デザインだけがバーンとあってそれを見ても、これが本になった時にどういうエネルギーになるのかが実感としてわからない。平野さんがこれだと言うならこれなんだと思いました。(写真のネガを見てもプリントとしての実感がないのと近い感覚だったと思います。)

平野 実は、本の構成を考えているとき、片桐さんから突然「ハードカバーにしたい」という希望が出てきました。なぜハードカバーにしたいのか、自分がイメージしていていた本のかたちとハードカバーのイメージが噛み合わなくてすっかり煮詰まってしまったのですね。本の最終イメージが全く浮かばなくなってしまった。その時に、片桐さんと工藤と三人で打ち合わせをしたのです。昨年のちょうど今頃、帝国ホテルのカフェで。

片桐 去年、東京都写真美術館で「アンリ・カルティエ=ブレッソン」のドキュメンタリー映画を見ました。その中でブレッソンが自分の最初の作品集を両手で持ってカメラに向かって表紙を見せながら、”この本はマティスにもらったんだ”と話していました。表紙がマティスの絵なのです。マティスの絵に『逃げ去るイメージ<Images a la sauvette>(後にアメリカ版で「決定的瞬間 <The Decisive Moment>」として出版され、ブレッソンの代名詞となる)』とフランス語でタイトルが入ったものです。写真集の装丁について話をしていたのですが、平野さんが表紙案について悩まれているようでしたのでこのお話をしました。「写真は僕の作品だけれど、写真集は平野さんにお願いしているのだから、平野さんがこれだというものをそのまま出してください」とお話ししたと思います。平野さんが「これだ」というものがあればそれでいいと思っていたので。


平野敬子、工藤青石
工藤 いつものことなのですが、何を平野が悩んでいるのかわからなくて。片桐さんが平野に期待していること、言っていることはクリアなのに、何を躊躇しているのかわからないんですよね。(笑)

平野 作家の作品集を手掛けることがこんなに難しいことだとは、思わなかったのですね。結果的に作家の生き方が表出するわけなので、作品集によって新たなイメージというものが表出するとしたら、それは事実により近く、リアリズムを追求しなくてはいけない、そこに嘘があってはいけないと思うのです。作品集自体が複製品だから、作品からスケールダウンして、いくつもの加工の行程を経るわけなので、すでに事実から離れていくわけで、そのことが気になってしようがなかった。その責任の大きさに、押しつぶされそうでしたが、ブレッソンの話を聞いてから、すごく楽になりました。それまでは片桐さんの本意がわかっていなかったんですね。平野のクリエイションをなぜ求めているのかということに対する信頼みたいなものが足りなかったのでしょうか。どうすれば、片桐さんの作品集として理想の姿になるのかということにとらわれてしまって、極論を言ってしまえば、たとえば表紙には写真が印刷されなくてもいいとか、そこまで可能性の幅を広げることができなかったのですね。表紙がマティスの絵であったブレッソンの写真集の有り様を考えたとき、「そういうことで良いんだ」という心境になれたし、片桐さんが信頼してくれた私の判断力を、私自身がもっと信頼していいのだということにようやく思いが至ったのですね。自己信頼が足りなかったのです。片桐さんは、私と片桐さんの関係を重んじてくださったし、時間を経た交流によって生まれてきたエネルギーを信じてくださっていたんです。それ以降、肩の荷がおりて自由になれました。集中することができ、すぐにアイデアが固まりました。あの時の時間と対話がターニングポイントとなりました。それにしても、片桐さんはいつも軸がぶれないのです。私は作品集に収録する文章は写真の評論家に頼むべきだと考えていたんです。ところが片桐さんはかたくなに平野に書いてほしいと。私は評論家ではありませんので、躊躇しましたが、片桐さんの中の確信は、全くぶれることはないのです。

工藤 この作品集は、片桐さんの写真の複製の印刷物というよりは、本というかたちの作品が生まれたと捉えた方が的確ではないかなと考えていて、それはどういうことかと言うと、片桐さんが望んでいたように、片桐さんと平野のコラボレーションが結実し、新たな作品が生まれたということなのだと理解しています。

片桐 僕の場合は大事なことになればなるほど、この瞬間に全ての成果が見えなくてもしょうがないんじゃないのかと思っています。もしかしたらこの瞬間に成果が現れることをあきらめているのかもしれません。期待していないのかな。追いつめられていても今この瞬間に全ての成果があがらなくてもいい、ダメだったから「ダメだ」ではなく、それが形になるまで継続すればいいと思っている。だから後悔しないためにも、人生をかけて抱え続けられるだけの「これだ」というものを出したいし、それには自分が納得したものであることが必要であると考えているのです。平野さんを悩ませたハードカバーを希望したのも100年残る本にしたかったからです。

ーー次に機会があれば、技術サイドの観点から作品集について話を伺いたいと考えています。

2007年12月24日 
コミュニケーションデザイン研究所にて



「Light Navigation」
発行日|2007年2月7日
著 者|片桐飛鳥
編集・文・アートディレクション・ブックデザイン|平野敬子(コミュニケーションデザイン研究所)
協 力|工藤青石(コミュニケーションデザイン研究所)
プリンティングディレクション|田中一也(凸版印刷株式会社)
制 作・発行者|久保田啓子
発行所|株式会社アートデザインパブリッシング