013 判断の論拠

この章では、五輪エンブレム審査会当日の最終審査における、私の判断の論拠について記します。

作品選択には判断の論拠があります。デザインの審査では、造形の良し悪しの問題だけではなく、目的性の解析、機能性への視点、技術面への考察など、多様な着目点が必要になります。なぜならば、デザインは鑑賞作品ではなく、機能目的を前提とした造形物だからです。「機能的造形物」という文言で表現してもいいかもしれません。ですので、いつも審査が難しいと思うのは、デザインにおける機能目的という視点を重要視するものの、造形物であるが故に、最終的には鑑賞に耐えうるか否かという、視覚的考察による造形的判断が重要になるからです。いまからデザインの審査を行う際に、判断の基軸とする着目点を記します。ここに書き記している内容は、デザイン開発時の考察点でもあります。

[美しさ]
[造形性の観点]
[デザインコンセプトの観点]
[公共性の観点]
[独創性の観点]
[新規性の観点]
[機能性の観点]
[技術面の観点]
[コストの観点]

なかでも、デザインが公共物であるという観点に基づき、公共物として環境の美観を損なわないか否かという観点は、極めて重要だと考えています。目立つことを目的の最優先とするのではなく、環境に溶け込み、環境の美観を損なわず、けれども機能目的は果たすということを、私のデザインの理想のひとつとしています。

このような判断基準とともに、今回のオリンピック・パラリンピックエンブレム審査では、新たに、次のような判断軸を追加しなければなりませんでした。

[オリンピックとパラリンピックの相対性への観点]
[技術面の観点では、媒体の多様性に対応できる表現が否か]
[拡大縮小等のスケールの変化に対応できる表現か否か]
[展開力の観点]
[親しみやすさ]

「展開力の観点」については、組織委員会の明確な方針として展開力を啓蒙されたため、審査会当時は重要な観点であると考えていましたが、エンブレムを審査するうえでは、本筋ではないと思っています。この「展開力」については、BLOG 003章で考察しています。

審査会当日に配布された審査関連の書類のなかに、「IOCのデザイン規定」の記述がありましたが、この規定を再読すると、審査直前に、私の認識力ではエンブレムの審査員は務まらないのではないかと著しく不安にかられたことを思い出します。審査委員の資料に記載されていた、このエンブレム選考基準となる規定を読んでいただきますと、エンブレムのデザインがいかに難しい課題であるか、出品作品を手がけたみなさまが、どれほど苦労されたかが理解していただけるのではないかと思います。いままさに、五輪エンブレムのデザインに取り組んでおられるみなさまの参考資料となりますので、公正性の観点から考えて、記載いたします。

【IOCのデザイン規定】
(1)エンブレムはその大会(2020年東京大会)と一目でわかるようなデザインにしてください。
(2)開催都市、開催国らしさを反映すべきであるが、商標登録を行う必要があるため「社会の共有財産(誰もが知っているようなシンボル 例:富士山)」と見なされるものと混同させるようなデザインを含まないようにしてください。(IOC規定による)
(3)オリジナリティを持ち国際的に認識されているイメージ(例:各国国旗、国際機関シンボルマーク等などと混同されるようなデザインを含まないでください。)(IOC規定による)
(4)オリンピック聖火、メダル、オリンピックシンボル等、オリンピックに関係するデザインと類似したデザインをしないでください。
(5)JOC等他の競技団体と混同されるようなデザインにしないでください。
(6)将来開催予定の「大会マスコット」との類似性が出てしまうようなキャラクター要素を含まないようにしてください。
(7)あらゆるプラットフォームでも見やすく、かつフルカラー及び白黒で複製可能であることを条件とします。
(8)世界中で親しまれ、理解されるようなデザインをお考えください。
(9)オリンピックとパラリンピックは同じファミリーに属していると一目でわかり、かつ、混同される恐れがないようにデザインしてください。
(10)オリンピックのモットー、五輪マーク旗、その他オリンピックに関係する画像(炎、聖火、メダル)、スローガン、マーク・記号、その他特徴的な目印またはそれらの曲解的なデザインなど紛らわしいものを含んでいないこと。
(11)あらゆるプラットフォーム上でも視認性が高いこと。特に放送局のエンブレムに関するニーズに関しても検討しそれにこたえられるようなものになっていること。
(組織委員会より審査委員に配布された書類より記載)

以上のことをふまえて、作品ごとに加点(プラスの評価)と減点(マイナスの評価)の二方向のベクトルを設定し、考察しました。ここからは、最終選考時の3点の入賞作品に対する、私の判断の論拠を記します。

3位案に関しては、著作権の観点から、具体的な内容への言及は控えます。発言可能な論点を記しますと、展開例の書類は1~2点と少なかったものの、展開イメージが誠実に伝わる、良質で過不足のない提案内容でしたので加点としました。

2位案に関しては、制作者本人の考えのもとに公表されていますので、著作権の問題はないと考え、判断の論拠を記します。まず、造形性について、幾何形態の円と、赤と白の色彩の組み合わせは、日本の国旗のイメージを引用した表現であることは一目瞭然ですが、ダイレクトな国旗の引用ではなく、暗喩としてのイメージの引用であることは理解したものの、日の丸のイメージに強くひっぱられていると感じましたので減点としました。制作時間がないなかで、展開例に関する考察が充分になされており、その点を高く評価しました。オリンピック・エンブレムとパラリンピック・エンブレムの2種の図像の差別化については、加点も減点もつけませんでした。多種多様な媒体での展開を考えたときに、グラデーション表現の再現性は難易度が高く、困難ではないかと考え減点をつけました。ただし、作者の意図として、あえて、その難しい手法にチャレンジし、東京オリンピックならではのエンブレムの個性を出そうとした実験であるとも読み解け、ここは判断が難しいところでした。拡大縮小などの多様なスケール展開において、パラリンピック・エンブレムは、バッジや名刺等の最小サイズの再現性に難点があると考え減点としました。2位案に関しては作風から作者はほぼ特定でき、作者の、日本で行うオリンピックにおけるビジュアルイメージの理想への実験精神というものを、提案作品から感じ取ることができましたが、審査直前に資料として配布された「IOCのデザイン規定」に照らし合わせると、2位案の表現が難解なものに感じられ、汎用性の観点で1位案ではないとの結論に至りました。

1位案に関しての論拠を記します。最終的に、私は1位案に投票しました。その論拠は、過去の諸外国の大会エンブレム案との比較において、直線的な幾何形態という形状に独創性を感じ、加点としました。色彩については、オリンピックの記号である金、銀というメダルの色とわかりやすくリンクさせた色彩の引用を評価するとともに、過去の例では、黒を多用したエンブレムは存在しませんので、無彩色の黒の表現が特徴的であり加点としました。組織委員会の説明から、マーケティングありきのエンブレム選考意図を感じとっていましたので、エンブレムに黒という厳かな色を用いることで、逆説的な手法として、コマーシャリズムに対し、何らかの抑止力が働くのではないかと考えて、黒の引用を評価しました。なぜ公表しないのかが理解不能ですが、パラリンピック・エンブレムの原案は公表されておりませんので、説明が困難ですが、オリンピック・エンブレムとパラリンピック・エンブレムの差別化が、出品作品の中で最も明確化され、差別化ができており加点としました。拡大縮小のスケールの変化に対して順応性と対応力がある図像と判断し、技術面の観点で加点としました。公表されてない展開例のなかで、エンブレムの黒い部分がスクリーンとなり、表彰者の顔が映し出されるといった空間的な演出とディレクションを展開例の中でも、最も高く評価し、大きく加点としました。展開例のプレゼンテーションボードは、公式会見では一部しか公表されていませんでしたが、他の出品者との比較において、展開例のボードの数が圧倒的に優っており、出品物の量が一番多かったと記憶しており、この点も高評価に繋がりました。1位案の作者名は最後まで特定できませんでしたので、作家性や独創性についての考察ができませんでした。作者名を知った今にして思うと、私が認識する作者の個性とは異なる表現だと思いますので、もしも審査時に作者名がわかっていたならば、作家性や個性の尊重という観点から考えると、1位案として投票したかどうかは断言できません。審査では、作者名を伏せているから公平な審査とは言い切れず、作者が特定できた方が、独創性や作家性についての考察ができ、有効にはたらく場合もあります。

ものごとの成り立ちには根拠があり、判断には論拠があります。論理的な思考に基づき、知のちからで感情や欲望を統御し、倫理観に照らし合わせた公正で公平な審査を目指し、社会のなかで真に機能する美しいデザインを送り出すことが、デザインが社会貢献を果たす手立てのひとつであると、ただそのことを確信しているのです。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める