037 イカサマ文書 by JAGDA – vol.2

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JAGDA会員各位

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会、エンブレム第1回設計競技についての見解をまとめました。‥(中略)‥問題の発生以来、JAGDA内部でも多くの議論が交わされてきましたが、第1回の設計競技のそれぞれ局面について、JAGDAがどのように考えて、また、現在どのような見解に至っているのかを総括しました。理事会と運営委員会の承認を得て総括文がまとまりましたので、会員の皆様にご報告します。

2016年6月25日
(『東京2020オリンピック•パラリンピック競技大会エンブレム第1回設計競技について』P1)
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という文章の朗読から、2016年度の日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)総会の議事が始まりました。この五輪エンブレム問題に関するJAGDA理事会と運営委員会の承認を得た見解文書が、事前の告知もなく突然に、JAGDA副会長の原研哉氏による朗読という方法によって、総会冒頭の第一議案の中で発表されたのです。

議長の進行のもと、約25分に及ぶ文書朗読の末に「‥‥以上ですが、再度申し上げますが、これは理事会、運営委員会のさまざまな多角的な議論を経て承認を得たものとして発表されたものです。よろしくご了解下さい。以上です。」との、会場に集う会員へ向けた「了解」取り付けの言葉に促されるように拍手が起こり、会場内の会員が了解への同意を表したところで弊社の工藤青石が「了解できません。了解をこの場で取り付けるという話はおかしな話だと思います。この内容にはたくさんおかしなことが含まれているので、了解するということを了解できません。いくつか質問したいのですが、質問していいですか。」と発言し、議事は中断されて質疑応答が始まりました。しかし「第1回コンペの審査委員は守秘義務契約書にサインをしていると断言する根拠は何なのですか」という質問に対して「守秘義務の契約をしているからです」といった不毛な応答が繰り返しされ、JAGDA理事会が答えに詰まったところで「この見解に対しては理事会と運営委員会で決めました。だから認めないのならば結構ですが‥‥今日決議しなければ、明日からこの組織が活動できません。ですからぜひ議事をきちんと進めたい」と事務局が割って入り、質疑応答がフェードアウトして、次の議題に進みました。その後は予定とおりに議事が進められ、最終的に議長によって決議事項の採決が取られましたが、ここでも工藤は反対に挙手し、1名反対その他多数賛成という議決結果によってすべての議案が承認され、2016年度総会は閉幕しました。

グラフィックデザイン団体の中で唯一の公益社団法人であり、五輪エンブレム問題の当事者が多数所属するJAGDAが、問題が起きて以降、初めて公式見解を発信するのであるならば、デザインの専門家団体としての責任を果たすことを目的とした、会員や直接の関係者、そしてこの問題で迷惑を被った国民のみなさまに対して向けられた内容の文書であるべきではないかと考えますが、総会で発表された見解文書は、デザイン団体としての責任を果たすどころか、そのような本来的な目的とは大きく乖離した、自己弁護や思い込みの激しい身勝手なフィクションの様相をしており、社会的責任を放棄した無責任なものでした。そもそも『東京2020オリンピック•パラリンピック競技大会エンブレム第1回設計競技について』というタイトルからして曖昧な表現になっており、明確な指針や目的や意思がまったく感じられません。いったいこの文書の目的は何なのでしょうか。

本文13ページからなる冊子状の文書の構成を見ると、文書の目的がくっきりと浮かび上がってきます。JAGDA文書はとても不思議な構成になっており、まず導入部に、国際的なデザイン団体であるAIGA(米国グラフィックデザイン協会)、ico-D(国際デザイン協議会)、AGI(国際グラフィックデザイン連盟)が組織委員会に向けて発信した公式見解の内容が引き合いに出されて、3つの団体から組織委員会宛に書簡が送られたという事実が記述されているものの、なぜかその行為や文書に対するJAGDAの見解はいっさい述べられておりません。以下にその導入部の文面を記載いたします。

[JAGDA文書P2  本文巻頭]
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‥(中略)‥世界のデザイン団体、AIGA(米国グラフィックデザイン協会)は、大会組織委員会の森喜朗会長に対する公開書簡として、ico-D(国際デザイン協議会)は公式サイトで、これについての見解を発表しています。いずれも一般参加を含んだ公開コンペは投機的であり、デザイナーの職能を阻害するものであり、尊敬されるべきプロのデザイナーに敬意が払われていないことは、組織委員会がデザインの品質を判断する経験やスキルに乏しいことを示すことになるという指摘です。AGI(国際グラフィックデザイン連盟)はAGIGの意見に賛同するという主旨で、同じく森喜朗会長に対して書簡が送られています。‥(中略)‥問題の発生以来、JAGDA内部でも多くの論議が交わされてきましたが、ここにあらためて見解を発表します。(JAGDA文書P2)
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文書巻末の最終段落では、海外のデザイン団体組織への理解を得たいとするJAGDAの思いが記されて、締めくくられています。以下に最終段落の文面を記載いたします。

[JAGDA文書P7  最終段落]
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JAGDAは、デザインという職能を通して社会と向き合い、世の中の信用を得て機能しているグラフィックデザイナーの集団です。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会のエンブレム第1回設計競技は、104名のデザイナー達がしのぎを削り、30代から80代まで幅広い年齢層で選ばれた審査委員が競技し選出した成果です。これが白紙撤回されたことは大きな衝撃です。JAGDAはこの事実を、さらに長い時間をかけて、歴史的な視野に立って咀嚼・検証していこうと考えています。AIGA、ico-D、AGIに対しても上記のJAGDAの見解を示し、理解を得たいと考えています。(JAGDA文書P7)
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結論部分ともいえる最終行に「AIGA、ico-D、AGIに対しても上記のJAGDAの見解を示し、理解を得たいと考えています。」という一文を配置したことには、どういう意味があるのでしょう。

要するに、この文書の主たる目的は、海外デザイン団体への理解を得ることであると明言しているようなものなのです。この文書の作者にとって重要なことは、組織委員会に対してデザイン団体としての意見書を出せないJAGDAが、海外団体の文書を記載させてもらうことで、高次元の意識に便乗させてもらい、組織委員会へ意見書を送っている海外デザイン団体の正論に同意しているかのように見せかけること、海外デザイン団体に対しては、虚偽の事実が盛り込まれた捏造文書を送付し、事実を隠蔽した虚偽文書によって事実誤認を促すこと、更には、問題に対する責任を果たしたかのようなパフォーマンスによって海外団体からの理解を得て、JAGDAの面目を守るといったいくつかの思惑が見え隠れしています。総会は1年に1度しか開催されませんので、今回の機会に文書が承認されなければ、今年の9月に開催されるAGIの総会には間に合わず、是が非でもこの機会に承認を取らなければならないと考えたのでしょうか。JAGDAの公式見解文書としてのお墨付きを得るためには、どうしてもJAGDA総会で承認をとる必要があったのです。JAGDAの公式見解文書というタイトルを得たこの文書は今後、政治利用され、海外のデザイン団体に向けて発信されることになるでしょう。

更にJAGDA文書の目的についての分析を進めます。本文13ページからなる公式見解文書の内訳は、P2-P7は見解文書、P8-P9は年表のような体裁の歪曲された史実の列記、P10は白紙、P11-P13はico-Dが公表した「東京2020大会エンブレム一般公募に対するico-Dの異議申し立て」というタイトルの声明文書の全文が転載されており、最終ページは、世界的な協議会であるico-Dの声明文記載によってJAGDA文書の冊子は締めくくられています。しかし、その声明文に対して同意するなどのJAGDAの見解はいっさい述べられておりません。そうであるにもかかわらず、何のためにico-Dの公式見解を記載しているのでしょうか。通常、そのような公式見解を載せる目的は、その文書への同意を示すためと考えられますが、JAGDA文書の書面には、ico-Dの声明文が記載されているにもかかわらず、その文書に同意する、もしくは支持するといったJAGDAの意向や意思はいっさい記載されておりません。しかしこの冊子を読む人がちゃんと読み込まずに感覚的に捉えたならば、あたかもJAGDAがico-Dの見解に同意しているかのように錯覚する、もしくはその論旨がJAGDAの意見であるかのように勘違いするように、冊子が編集されているように見えました。当事者でありながら、組織委員会に対して意見を述べない、述べられないJAGDAが、世界的な協議会の声明文をJAGDA文書に拝借はするが、しかし見解は述べない、これではまるで「虎の威を借る狐」ではないでしょうか。

上記の問題に関して、総会当日の質疑応答の中で工藤が問いかけています。「まず冒頭の文章ですが、世界中のデザイン団体がこのコンペをおかしいということを言っています。JAGDAはそれに対して、このコンペはおかしいということを言っていないと思うのですが、世界中のデザイン団体は組織委員会に対しておかしいと言っているのだけれども、JAGDAはまったくおかしくないという認識の解釈でいいのでしょうか。つまり、JAGDAだけはこのコンペを正しいものと認めているし、ここに書いてある『尊敬されるべきプロのデザイナーに敬意が払われていない』ということに対して、JAGDAとしては何ら問題視していないということを決議しているのだということだと、そういうことでいいのかということが確認したいことのひとつです。なぜ組織委員会に対して具体的な表明をしないのですか。なぜ意見書を出さないのですか。つまりは、JAGDAはそういうプロの尊厳を守らないということを決めたということですね」という質問は、海外のデザイン団体の意見や国際的なデザインの協議会の声明文を記載したJAGDA文書のギミックへの指摘でもありますが、結局のところ、JAGDAが社会に発信すべき最も重要な観点であり、世界のデザイン団体やデザインの協議会が主張する「プロのデザイナーの尊厳を団体として守るべき」との論点に関してJAGDAからは「守らないとは言わないけれども、守るとも言わない」という曖昧な立ち位置による曖昧な回答しか得られず、これによってつまりは、JAGDAはデザイン団体としてプロの尊厳を守る意思は持たない、デザイナーの尊厳を守る意思は表明しない、プロのデザイナーの尊厳に対して明確な立ち位置を示さない団体であるという理事会と運営委員会の総意としての会の方針を、結果的に自ら表明したのです。

折しもブログ036章を更新した翌日6日の夕刻に『JAGDA News』がメール配信され、複数の情報の中のいち項目として「2016年度通常総会終了報告 さる6/25(土)、京都・上七軒歌舞練場にて開催された通常総会・全国大会は、盛況のうちに終了しました。」という記述とともに、総会出席者数と「すべての議案が賛成多数により可決されました」との議事採決の結果が報告され、文書『東京2020オリンピック•パラリンピック競技大会エンブレム第1回設計競技について』はJAGDAの公式見解文書として承認されたことが既成事実となりました。ただし、既成事実としては承認されたことになるのかも知れませんが、事実は、総会出席者にも欠席者にも、事前にその文書のことが知らされておらず、この期に及んで『JAGDA News』にも文書承認の事実が明記されていないため、このブログを読んでおられない会員は文書の存在を今も知らないままであり、このゲリラ的手法によって、誰がどのような意図を持って制作したのか、成り立ちのプロセスなど定かではない『東京2020オリンピック•パラリンピック競技大会エンブレム第1回設計競技について』という文章を、JAGDA会員の総意によるJAGDA公式見解文書と位置づけた詐欺まがいの方法論については、会員の決議参加の権利をないがしろにするものとして、とうてい認められることではないと思います。

五輪エンブレム問題の当事者である審査委員や招待作家や出品者に協力を要請せず、文書に記載された情報の根拠や出所も明確にせず、執筆者の主観による感想や想像レベルの稚拙な内容をあたかも真実であるかのように書き連ね、事実が大きく捻じ曲げられた恣意的な内容をJAGDA公式見解文書とした、文章の内容とともに議事承認の方法論も含め、この行為は公益社団法人という公の組織としてのコンプライアンスに抵触する問題ではないかと考えておりますので、JAGDAは行為の正当性を証明するために速やかに公式見解文書を公開し、公益社団法人としての公式見解を世に問うべきであると考えます。文書の解読は、文書が公表された後に行いたいと思います。

この、新たに起きたJAGDA文書の問題の構造を端的に表すと、「何者かが自分本位のシナリオを描き、それが秘密裏に進められ、強行的に実行された結果、問題が起きた」という構図であり、問題が表面化すると「ごまかし、嘘をつき、反省なく、他人に責任を転嫁し、逃げる」という構図になり、これは第1回コンペにおける大もとの構造と酷似しています。私がそうであったように、知らぬ間に善良な関係者まで問題に巻き込まれ、当事者のひとりになるのです。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める