025 出口なき迷路

調査への参加要請の連絡を受けた際に、調査時の質問事項を事前に書面で送ってもらうようにお願いしたところ1週間後に、「1 参加要請について」「2 応募要項、制作諸条件について」「3 審査委員の選定について」「4 審査過程について」「5 原案の修正について」の5項目に関する25の質問を記した書類が送られてきました。1ヶ月に及ぶ組織委員会とのやりとりを経て、任意による無記名参加であり、原稿確認校正不可が前提の調査を受けないと判断しましたので、組織委員会が作成したこの質問の回答は提出しませんでしたが、いつでも対応できるように回答を用意しておりました。12月18日に調査報告書が公表され、調査内容を確認しましたが、25の質問が反映されている箇所が見受けられず、調査結果は、招待作家に関連する不正審査の新事実発覚という一点のみに絞り込まれておりました。調査のために事前に用意された25の質問やこのやりとりには、どんな意味があったのでしょうか。

ブログを続けている理由は幾度となく記してきましたが、起きてしまった問題を解決するためには事実を公にし、情報を共有しながら軌道修正していかなければ、憶測が不信感を誘発し、状況が悪化するだけだと考えておりました。目的が都合主義の情報操作が前提となる情報提供は、矛盾やほころびが広がるだけで根本解決にはつながらず、このブログを通して事実に基づく情報を提供することで、少しでもエンブレム問題の構造を理解していただくことで、判断を誤らないようにと情報を提供してきましたので、たとえ調査を受けなかったとしても、ブログに記してきた内容を確認し、検証していただければ事前の質問を網羅している内容ですし、記名で発言しているということは、内容に関する責任を負うという前提での記述であり、調査に活用していただける内容だったはずなのです。

しかし、調査報告書には23回にわたりブログに記述してきた事実関係の要となる記述箇所について、精神論的な表現箇所以外は、ほぼ反映されておらず、公平な事実の記録という観点のために役立てなかったのだということを確認しましたし、公平に事実の認定を目指してもらいたいと考えた私自身のおごりを思い知りました。すでに調査報告書が公表されましたが、事前の質問の内容に関しては、記録することに意味があると思いますので、調査に付随する事柄としてここに記述いたします。

組織委員会が12月18日に記者会見で公表した調査報告書に関しましては、デザイン誌『アイデア』のホームページ内で公開されました。このようにすでに報告書全文が閲覧できますので、ブログ023に「調査報告書を随時、更新していきます」と記述しましたが、当ブログでは全文を記載せず、報告書全文をご覧になりたい方は、『アイデア』のホームページを確認していただきたいと思います。

[調査のために事前に送付された質問事項と平野の回答]
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■ 1 参加要請について
(質問1-1)特定のデザイナーに対し、公募発表以前コンペへの参加要請をしていたという事実を審査日以前に知っていたのか。
(平野回答)知りませんでした。

(質問1-2)いつ、どのようにしてその事実を初めて知ったのか。
(平野回答)2015年9日28日に行われた記者会見ではじめて知りました。

(質問1-3)一般公募ではなく、プロを対象にしたコンペおいて特定のデザイナーにのみ参加要請を行うという方法を、過去に経験した又は見聞きしたことはあるか。
(平野回答)1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博、1972年の札幌冬期オリンピック、1989年の東京都シンボルマークなど、この半世紀内に行われた、公共のイベント等のシンボルマークについては、10人前後のグラフィックデザイナーを対象として、指名コンペのスタイルがとられてきたと認識しています。参加経験はありません。

(質問1-4)参加要請のことを知って、審査委員としてどう思ったか。
(平野回答)「招待作家制度」自体は違法な行為ではないと思います。しかしそのことを、高崎氏と永井氏以外の審査委員と招待作家以外の出品者96名に知らせなかったことは、明らかにアンフェアな行為ですので、その事実がわかった時点で、審査自体の公正性の信憑性が崩れたと思いました。本件については、ブログ004に記述しています。

■ 2 応募要項、制作諸条件について
(質問2-1)応募要項及び制作諸条件はいつ受領したか。
(平野回答)2014年9月1日にメールにて選考に関する簡略な書類を受信し、審査直前にも情報が更新された書類が配送され、審査当日にも書類が配布され、内容が若干異なる複数の書類が手元に残っています。本件については、ブログ003に記述しています。

(質問2-2)応募要項及び制作諸条件の内容を事前に確認したか。
(平野回答)事前に確認をしましたが、認知できていない内容が複数箇所ありました。書類は書式が雑でざっくりとした内容のため、公式書類らしくないと思いながら読みました。

(質問2-3)制作諸条件の「エンブレム策定について(2)」3項には、「各国国旗、国際機関シンボルマーク等と混同されるようなデザインを含まないようにする」旨が記載されていましたが、ご自身はこの条件趣旨についてどのように理解していたか。
(平野回答)組織委員会の担当者の説明の際に、「IOCの規定による」というフレーズを複数回聞いておりますが、書類に書いてある以上の内容説明を受けておらず、規定内容への理解に至らなかったと思います。国旗のイメージの引用に関しては、国旗の影響が顕著に感じられ、減点査定をつけた作品があったものの、1位案については、審議の際にも国旗のイメージの引用については議論の対象にならず、IOCの規定に基づく査定基準への理解が十分ではなかったと思います。

(質問2-4)展開例・展開アイデアに関する資料は、「自由提出」とされていたが、この点についてどのように理解していたか。
(平野回答)審査当時は、審査委員に渡された書類や口頭による打ち合せ、審査当日の審査概要説明においても、繰り返し、「展開力重視」との説明を聞いてきましたので、展開例が「自由提出」という条件であったという認識は持っていませんでした。本件については、ブログ003に記述しています。

■ 3 審査委員の選定について
(質問3-1)どのような経緯で審査委員に選ばれたのか。
(平野回答)審査委員を依頼された最初の打ち合せの際に、なぜ私が審査委員の候補になったのかを質問したところ、永井氏とグラフィックデザイナーの◎◎氏の2名が推薦したとの説明を受けました。

(質問3-2)いつ、どのような方法で審査委員全体の構成を認識したか。
(平野回答)2014年9月3日に行った、審査委員依頼の打ち合わせで説明を聞きました。

(質問3-3)高崎卓馬氏が審査委員に加わっていることついて、当時、どのよう感じましたか。
(平野回答)高崎氏とは面識はなく、どういう人物なのかについての情報をもっておらず、審査委員依頼時の打ち合わせも出張中との理由で同席されませんでしたので、審査当日が初対面でした。高崎氏については、組織委員会のクリエイティブディレクターであり審査委員を兼任している役職との説明を槙氏から受けましたので、その説明のとおり理解していました。

(質問3-4)審査委員に就任したことが公表されて以降、審査日までの間に、今回のエンブレム選考について、「応募しようとする、またはおぼしき」デザイナーから接触がありましたか。
(平野回答)1度もありません。

(質問3-5)審査委員に就任したことが公表されて以降、審査日までの間に今回のエンブレム選考について他の審査委員とやり取りをしましたか。
(平野回答)永井氏から審査委員の推薦を受けたと説明を受けましたので、審査委員依頼の打ち合わせの直後に、私の方から永井氏に電話をかけ、審査委員を受諾した旨を伝えました。他の審査委員とのやりとりはこの一度だけです。

■ 4 審査過程について
(質問4-1)応募作品を目にしたのは、平成26年11月17日(審査初日)が初めてだったか。
(平野回答)はじめてです。

(質問4-2)104点の作品を絞る方法はどのようにして決めたか。
(平野回答)質問の意味がよくわかりません。絞る方法は組織委員会が決めていた投票方法に従いました。個人としての評価尺度については、ブログ013、014に記述しています。

(質問4-3)審査方法、審査基準について、審査初日にどういう説明を受けたのか。
(平野回答)当日に配られた書類を見ながら、槙氏と高崎氏から、ざっくりとした概略説明を受けたと記憶しています。高崎氏からは、「作品を選ぶ観点として、展開力を評価してほしい」との具体的な説明を受けました。本件については、ブログ003に記述しています。

(質問4-4)最終段階で各審査委員が1票を投じるという方法は、一般的なものなのか。
(平野回答)五輪エンブレム審査と日常的に行われているデザイン審査との比較は意味がないと思います。なぜならば、世界規模の商標調査の必要がある五輪エンブレムと一般的な審査では、責任範囲や規模が異なりすぎて、比較して論考することはできないからです。五輪エンブレムの責任範囲を考えると、最終段階で1票を投じるという方法が適正ではなかったということが、現時点では断言できると思います。本件については、ブログ013に記述しています。

(質問4-5)審査に際して、他の委員や関係者言動で不自然、不審に感じたことはあったか。
(平野回答)まず、組織委員会の運営方法や方針について、場当たり的な対応が多く、終始、疑問を持っておりましたし、問題を感じておりました。本件については、ブログの全般各所に記述しています。

(質問4-6)審査委員ではない槙氏が審査に立ち会っていたことついて、どう考えていたか。
(平野回答)槙氏の役わりを考えると、審査に立ち会っていることについては疑問を抱きませんでした。ただし審査の途中や、審議のディスカッションにおいて、事務方である槙氏が、エンブレム選択に影響を及ぼす発言をしていたことについては、ときに越権行為であると感じておりました。本件については、ブログに記述しています。本件については、映像記録を確認すれば記録されているはずですので、曖昧な記憶にたよらざるを得ない質問に、必然はないと考えます。

(質問4-7)2日目の冒頭で、高崎氏が残った14点について、商標上等の問題がある作品を指摘しているが、1番に選ばれた佐野研二郎氏の作品については、どんな指摘があったのか。
(平野回答)1位案についての指摘については記憶がありません。また、14点すべての指摘を聞いた記憶がありません。商標上等の問題がある作品についての指摘も、具体性のあるきっちりとした説明を受けた記憶はなく、ざっくりとした簡易な説明だったことを記憶しています。本件については、映像記録を確認すれば記録されているはずですので、曖昧な記憶にたよらざるを得ない質問に、必然はないと考えます。

(質問4-8)1位に選ばれた作品が佐野氏の作品であることを知ったのはいつか。
(平野回答)2015年5月13日に行った高崎卓馬氏との打ち合わせで、正式に作者名を聞きました。本件については、ブログ008に記述しています。

■ 5 原案の修正について
(質問5-1)1位の作品を決定した後の修正について、どの範囲まで一任していたという認識だったか。
(平野回答)修正を組織委員会に一任するという認識はもっておりませんでした。商標等の問題が生じ、修正の必要が出る、もしくは次点案を選択するなど、デザイン変更に関わる範疇や領域については、審査委員に事前に相談の連絡があるものだと認識しておりました。

(質問5-2)修正後の佐野氏の作品を見せられた際、どのような意見を述べたか。
(平野回答)2度の打ち合わせを行い、高崎氏に修正案拒否の明確な意思を伝えました。「選考で選んだデザインとまったく異なるデザインのため、とうていこれを許容することができない。」‥‥「修正案は『T』に見えず『L』がプラスされたように見えるので、何を表現しているのか意味がわからず、見た人は混乱するのではないか。『L』に見える部分をどういうふうに説明するのか。図像からイメージできないということは、アイコンとして機能しないということです。機能しないということは、エンブレムとしては失敗です。」‥‥「とくに、パラリンピックエンブレムは原形をとどめておらず、まったく違うものになっている、これはデザインへの冒涜です。審査委員としてこんなものを私は認めない。発表を遅らせて再検討すべきだと考えます。」と強く異議を申し立てて反対しました。どのような意見を述べたかについての詳細は、ブログ008に記述しています。

(質問5-3)修正後の佐野氏作品に関する確認手続は、審査委員による協議ではなく、各審査員の個別承諾という方法が用いられたが、この点についてどのよう思うか。
(平野回答)個別交渉は1対1の構図になるために、事後承諾を取り付けることが目的である場合、個別訪問による個別承諾という方法は個人の承諾をとり易く、組織委員会にとって物事を有利に進めていくために選択した手法ではないかと思っています。私の場合は、高崎氏と打ち合わせをはじめてすぐに、内容が深刻なことだと理解しましたので、打ち合わせ自体が密室化しないように、途中から私側にも同席者を付け、複数の目で打ち合せの内容を共有しました。本件については、ブログ008に記述しています。

(質問5-4)当初決定したエンブレムが大きく修正されていた場合、本来はどうすべきであったと思うか。
(平野回答)異議を唱え、修正を拒否すべきだと考えましたし、そのとおり実行しました。

(以上)
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調査に際しての質問には、多面的な側面を考慮した痕跡が見えましたので、この質問の内容が調査報告書に反映されなかったことを残念に思いました。調査に際して事前に送られてきた質問と行為には、何の意味があったのでしょうか。少なくとも6人の審査委員が調査に協力したと聞いておりますので、この人たちの回答の共通点や相違点の解析によって、問題の解明に向けて進展があったはずだと思いますが、その調査内容を報告書に反映しないということで、調査に協力した人たちの勇気と尊い時間と労力は徒労となりました。

なぜどこまでいっても、事実を事実としてありのままに公表していただけないのでしょうか。調査報告書は、あたかも出口なき迷路のようだと思いました。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める