029 審査委員として知り得た情報のすべて

2016年2月2日、ベルギーのデザイナー、オリビエ・ドビ氏が国際オリンピック委員会(IOC)に対して、旧エンブレム案の使用差し止めを求めた裁判を取り下げたという一報が入ってきました。

この報道を受け、伝えきれていない未公開の情報を本章に記載することにいたしました。重要な情報であるにもかかわらず、いままで公表しなかった理由について説明させていただきます。2015年9月1日に行われた旧エンブレム案の使用中止に関する記者会見の中で、「リエージュのロゴに似ているかどうかってことについては、‥‥訴訟の手続き上、訴訟の弁論が行われる前にいろいろなものを出していくのは控えた方が良いのではないかという、訴訟を実際に対応しておる法律家からのご忠告もありました。(聞文読報より転載)」という、組織委員会の武藤敏郎事務総長の発言を聞き、裁判への影響を考えて公表を控えた方が良い情報だと判断したためですが、リエージュ劇場に続き、ドビ氏も訴えを取り下げたことが発表されましたので、遅きに失するとのおしかりを受けることを覚悟のうえで、ここに記述いたします。

いまから記す情報は、組織委員会のクリエイティブディレクターであった高崎卓馬氏より得たもので、2015年7月8日に弊社で行った修正案許諾要請の二度目の打ち合せの際に高崎氏が持参した書類の全文です。いつ、誰に対して、何回修正を行ったかという修正の経緯が時系列で詳細に記述されており、当日の打ち合わせはこの書類を基に説明を聞きましたが、根本の理屈が破綻していると思いましたので、初回の打ち合わせ同様に修正案承諾拒否の考えは変わらず、打ち合わせは物別れに終わりました。審査委員を受けて以降、ことあるごとに感じていた組織委員会の対応への疑念や不信感から、この書類は返却せずに保管しておりました。

[旧エンブレム案の修正経緯の書類より転載](表示の書式は原文まま)
—————————————————
2014年
11/17~18
審査会
11/20
IOCブランド担当会議 審査会の決定案に大いに賛同
NO.42オリとパラの類似性が強く難しい
NO.9世界各国でのマーケティング利用の観点から厳しい

国内商標簡易チェック
11/28
室伏氏・成田氏に報告 決定案に強い同意を得る

森会長・武藤総長その他委員への承認会議
決定案が素晴らしい。商標はこの案の修正にてクリアすること。
オリ・パラの発表はメッセージをもって同時に行うこと。
12/4
国内商標結果共有
12/8~
権利譲渡契約書締結(上位3名)
12/9~
グローバル商標見解共有
12/17
IPCサイドより、アンバランスなデザインへの危惧共有
12/18
森会長・武藤総長へ現状報告、修正作業開始
12/22
修正第一案アップ
法務見解共有
12/24
修正第二案アップ
法務見解共有(ラインを探る)
12/26
法務との会議

2015年
1/5
修正第三案アップ
1/14
IOCより感触の共有
デザインのストーリーの必要の確認
1/15
対策会議(組織委員会)
1/18
修正第四案アップ
2/5
修正第五案アップ
2/8
修正第六案アップ
2/20
森会長・武藤総長プレゼン(決定に至らず)
3/5
修正第八案アップ
3/17
修正第九案アップ
4/6
映像制作
4/7
森会長・武藤総長プレゼン 決定
4/8
法務会議
4/14
IOC法務会議
—————————————————

現在、進行中のエンブレム審査で絞り込まれた候補案の4作品についても旧エンブレム案同様に、修正経緯の書類に記載されているようなプロセスを経ているものと思われます。この修正の経緯に関する事実は公表されておらず、過去の記者会見でも二回修正を行ったというおおまかな情報しか公表されませんでした。この書類によると、誰が修正案をジャッジしたのかわからない、修正確認の対象者名がブランクの箇所が複数あり、謎を残した書類となっています。

書類の記述内容を基にして、すでに周知の事実である、修正が高崎氏以外の7名の審査委員に対して知らされずに行われたという事実関係について改めて考えてみますと、現時点で永井一正氏については高崎氏以外の審査委員と同列に捉えることは難しく、その根拠として、審査委員代表として広報発表イベントや記者会見への出席、エンブレム取り下げを決定した三者会議への出席など、他の審査委員には出席の要請すらなかったそれらの重要な場面すべてにひとりだけ出席しているという既成事実や、招待作家やコンペ出品者の条件設定などの審査概要を決めて主導し、更には、白紙撤回直後に刷新された審査の新体制の構成員であるエンブレム委員にまで永井氏の推薦者を複数名送り込んだということを永井氏本人から聞いており、このように、旧・新コンペへの関わり方の深度とともに、組織委員会との特別な関係性が明らかになったいまとなっては、永井氏が修正プロセスを知らなかったとすることを、言葉どおりに受け取ることは難しいと考えています。ましてや今回のように、関係者の虚偽の発言が積層する異常ともいえる状況下では、組織委員会側の立場をとり続けた永井氏が修正に関与していなかったとの言説を信じることはできません。

別の角度から考察していきますと、2015年8月5日と8月28日に行われたふたつの記者会見の映像で、修正案の造形的根拠の説明を聞きましたが、亀倉雄策氏がデザインした1964年の東京オリンピック・シンボルマークの円を内包させ、過去のふたつのオリンピックのシンボルのデザイン・ポリシーを継承したとするコンセプトを佐野研二郎氏ひとりで考えたとする説明は、佐野氏の過去の仕事の実績や作風と重ねてみると思想的整合性は見えず、無理があるように思います。組織委員会のクリエイティブディレクターとしてクリエイティブの責任者であった高崎氏も永井審査委員代表も佐野氏も、責任者や当事者として実行してきたことについて一切説明しないという態度であるために、真実が何ひとつ解明されず、多くの謎を残したまま幕は引かれようとしています。

『永井先生も、「専門家から見るとそういうことだけれども、この場合には一般国民の納得を得るのは難しいでしょう。」というふうにおっしゃったこと、そこが最大のポイントです。』この発言は、2015年9月1日に行われた旧エンブレム案使用中止の記者会見における質疑応答での武藤事務総長の回答の弁ですが、この会見で白紙撤回の理由の説明として引用され、多用された文言の、「デザイン界の理解としては」や、「専門家のあいだでは充分にわかりあえるんだけれども、一般国民にはわかりにくい。」といった妄言、暴言が世に流布し、「デザインへの著しい誤解」を生んだまま、五輪エンブレム関係者が創作した「デザイン界の非常識」が公の発言として記録され、国民のみなさまには、「デザイン界の非常識」が「デザイン界の常識」として記憶されました。この官僚的発想と思考回路と美学への無理解によってデザインの真理が汚されて、9月1日は「デザインが殺された日」になりました。

五輪エンブレム問題に端を発した半年の間に、デザインの真理や正義や信頼はことごとく破壊されました。当事者をはじめとし、いまもデザイン関係団体やデザイン政治家たちは沈黙し、起きてしまった問題から目を背けているように見えますが、そのことは、日本グラフィックデザイン界という業界が存在するというのであれば、日本グラフィックデザイン界が自らの意志で未来への正道を閉ざしたことを意味するのだと思います。しかし、微かであっても光が射していることも感じます。一部の人たちはデザイナーの誇りをかけてエンブレム問題への発言を行っておりますし、デザインジャーナリストによるエンブレム問題への論考の書籍が出版され、知の領域からの発言行動も始まっています。ブログを読んで下さっているという若い広告制作者から記名の手紙が届きましたが、そこには叫ぶようにエンブレム問題への葛藤や思いがしたためてありました。このように、個がそれぞれの立場で考えて、それぞれの方法で行動することで、再生の道も開かれるのだと思います。新世界に向けて、萌芽の兆しは見えますし、発芽の音が聞こえます。

ひき続き、ブログでの考察は続けていきますが、審査委員を務めた責任として記述してきました、審査委員として知り得た情報は、今章の記述をもって出し尽くしましたので、情報提供というアプローチは終わらせていただきます。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める