030 新聞寄稿文への異論 – vol.1

東京2020五輪エンブレム問題が起き、2015年8月28日に1位案の原案公表と使用継続の意思表示の記者会見が行われるも9月1日に白紙撤回となり、以降も組織委員会は真実を公表せず、審査委員としてマスコミに追われ、9月28日に組織委員会が開いた「東京2020エンブレム問題に関する報告」という記者会見で招待作家の存在が明らかになり、その3日後発売の週刊誌に招待作家の記事が掲載され、10月2日に組織委員会のマーケティング局長とクリエイティブディレクターが更迭され、さらに混迷が深まる様相をみせていた最中のこと、エンブレム・コンペの関係者による新聞寄稿文が10月5日の毎日新聞に掲載されました。

『‥‥参加者の立場で言うと今回の「公募」は開かれていたと感じている。1964年の東京五輪に始まり、札幌五輪、愛知万博などは全て、数名の指名コンペだった。それに対して今回は、応募資格を満たす104名ものデザイナーで競われた。閉じているどころか前代未聞の開かれたコンペだったのである。‥‥(毎日新聞 東京夕刊)』この文章は、旧東京五輪エンブレム・コンペの招待作家のひとりと公表され、2位案作者だったグラフィックデザイナーの原研哉氏が毎日新聞に寄稿した、『コンペ、明快な基準を─五輪エンブレム、不可欠な専門性』の一部です。(全文は毎日新聞デジタル版及び原氏の会社ホームページ上に公開されています。)

『前代未聞の開かれたコンペであったのである。』と、あたかも健全なコンペが行われたかのような錯覚を誘導する発言や、『さらに今度は特定のデザイナーへの参加要請が不当な行為であったかのように報じられ始めた。』との発言からは、旧東京五輪エンブレム・コンペの、なぜかいっさい公表されずに秘密裏に隠し通されて行使された招待作家という裏のルールが、あたかも正当な方法であったかのように思わせる印象操作の自己弁護が読み取れて、新聞という媒体で発言する内容とは思えずに、呆れ果ててしまいました。

『前代未聞の開かれたコンペ』とは一見聞こえが良い言葉ですが、その論旨の正当性を裏付ける根拠はありません。招待作家が秘密裏に進められたことで疑念の目を向けられたことへの心痛は察するものの、白紙撤回となった問題だらけの旧東京五輪エンブレム・コンペを肯定する発言を行うということは、不正審査が明らかになったいまとなっては、発言を撤回しないのであれば、結果的に不正審査を肯定する発言となるのではないでしょうか。今章では、新聞という公の場での原氏の発言への批評を軸に、五輪エンブレム問題について考えていきたいと思います。

旧五輪エンブレム・コンペには、受賞歴の有無という応募資格がありました。その受賞歴というのは、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)、東京アートディレクターズクラブ(東京ADC)、東京タイプディレクターズクラブ(TDC)の所属者及び広告代理店所属のアートディレクターを中心に受賞者を輩出してきた賞であり、この応募資格が出品者の活動領域を限定したことも、「閉ざされたコンペ」の原因となりました。前回コンペの応募数104点に対して今回コンペは1万4599点の応募があり、応募数を比較してもそのことが明らかです。さらに具体的に説明しますと、受賞歴の条件があったことで、GKグラフィックス、PAOS、ランドーアソシエイツというコーポレート・アイデンティティ(CI)開発の専門性をもった国内屈指のデザイン・チームは参加できておりませんし、小学校から大学までの教育機関でデザイン教育に携わる教育者や研究というスタンスで活動する研究者、若いデザイナーたちは応募できなかったと思います。タイポグラファーやサインデザインの専門家たちも参加を断念せざるを得なかったことでしょう。このように、共同意識のアイデンティティーをデザインする専門家たちが応募できなかった原因となった応募条件の偏りというものがコンペに与えた閉鎖感と損失について、今後の教訓としなければならないと思います。

考察の論点を変えますが、日本には村上隆や奈良美智という、世界から賞賛を受け、世界をフィールドに活躍する、いまを生きるアーティストが創作活動を行っています。そして工芸家にも至高の造形家が数多おり、このように美学を日々探求し、極めている作家によって表現されたエンブレムがどんなものになったのか、尽きない興味がありますし、本質家の表現による日本独自のエンブレム・デザインに挑戦できなかったということは、スポーツ・イベントにおけるコミュニケーション・スタイルの新たな可能性の芽を摘むような、機会の損失だったと考えています。

『開かれたコンペ』という感覚的で曖昧なニュアンスの表現は、読む人に対して「だれにも出品の機会が与えられている、開放されている閉鎖的ではない健全なコンペ」というイメージを与えますが、実情は、指定された賞を2種以上受賞という偏った応募資格があったため、出品資格者はデザイン業界の中でも特定の領域で活動する人に限られました。表向きは「公募」という体裁をとっているもののその実は、招待作家制が秘密裏に進められたり、招待作家への優遇措置がとられたりと、重なる不正行為が行われた不正コンペであったことは、いまとなっては紛れもない事実です。「ご内密に」と書かれた文書が特定の出品者に事前に送付されていた、「表向きは公募という開かれたコンペの体裁をとりながら、実は、過去の事例と同様の閉ざされた指名コンペ」であった事実が露見したタイミングで、『前代未聞の開かれたコンペ』と歪曲し、旧東京五輪エンブレム・コンペを美化して語りたい原氏の発言の目的は何なのでしょうか。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める