041 JAGDA文書への意見と要望 ― 法律の専門家による分析

6月25日に開催された2016年度総会の冒頭、前触れもなく突然に、『東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会エンブレム第1回設計競技について』(*以降「JAGDA文書」と記述)というタイトルが付けられた文書が朗読され、本来ならば承認・議決事項に成り得ない事案でありながら、あたかも第1号議案として承認されたかのような偽りの演出によって披露されてより3ヶ月が過ぎました。その間、JAGDAはJAGDA文書の感想や意見を会員に募り、提出期限となった9月30日に、JAGDA事務局に宛てて「JAGDA文書への意見と要望」という書面を送りました。この書面にはJAGDA文書の内容に対する感想や意見は書かず、弊社の顧問弁護士が、JAGDA文書の不可解な成り立ちの経緯などを分析した法律の専門家による見解を記した文書に同意するという形式をとりました。以下にJAGDAに提出した書面の全文を記載いたします。

[JAGDA文書への意見と要望]
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公益社団法人日本グラフィックデザイナー協会

事務局長 大迫修三 殿

文書『東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会エンブレム第1回設計競技について』に対し、ブログ「HIRANO KEIKO’S OFFICIAL BLOG」にて、この文書の、不適正な内容以前の問題である、文書の成り立ち自体が不適正であるという事実を、不特定多数の人が閲覧できる公の場で複数回にわたり発言してきましたが、第1回五輪エンブレムコンペの審査委員として審査状況等の内部的な情報を数多く持つJAGDA会員の指摘や意見に対し、実質的な文書制作者であるJAGDA副会長の原研哉氏、ならびに文書推進活動を取り仕切るJAGDA事務局長の大迫修三氏からはいちども連絡はなく、JAGDAとして「無視」という態度を貫かれております。更には、会員に向けての書面においても、「この文章は、JAGDA全理事、全運営委員により、幾度も議論と修正を重ねて、合意に達したものです。」と、ここでも事実とは大きく異なる作り話が平然と書き連ねられており、どこまでいっても信頼が生まれない理不尽な状況が延々と続く中、「周りの方とも議論していただき、ご感想、ご意見などありましたら、事務局までお寄せいただければと思います。」と、集まった意見がどのように扱われるのかの記述もない、不可解なJAGDAの対応への対処法として、法律の専門家に相談し、法律家の見解をまとめていただきました。弊社顧問弁護士による分析と見解に全面的に同意する形で、以下の意見を送りますので、各項目に対する返答をお待ちいたします。

以下本文

「顧問弁護士による分析と見解」

(1) 「見解」の位置づけに関し、8月12日の内部のメールでは総会での承認はないとされているが、7月28日のHP上の説明では、依然として「JAGDAの見解を・・発表」としたままであり、対外的には組織の見解だと位置づけたままである。承認がなく、組織見解でないことを認めるなら、HPの表記も速やかに訂正すべきである。「見解」の位置づけが、すでに組織見解であるのか、理事及び運営委員の単なる報告なのか、それによって意見する方も意見の仕方が変わってくる。意見集約の前提として、先ずは、速やかに「見解」の位置づけを統一的に明らかにし、組織の内外に示すべきである。

(2) 統一的な位置づけが確立されないうちは、位置づけがあいまいなまま、対外的に「見解」を公表するのは、速やかに中止すべきである。

(3) 集約された意見は、今後どのように活用するのか。それを明らかにしなければ、意見を出す方も意見を述べにくい。単に参考として、お聞きしますというだけなのか。それなら期限を切る必要もない。期限を切って集約するのなら、何らかの形でまとめて提示されるのか。人から意見を集めるなら、その目的と、それが今後どのように活用されるのか、そこを明確にすべきである。最低の礼儀というか、それがないと本気で意見を集めたいと思っているとは考えられない。「共有」という曖昧な表現では何をするのか何も分からない。

(4) 総会での承認事項になり得ないのに、総会であたかも承認の対象にしようとした、その原因の検証がなされるべきである。実は、手続き無視で承認しようと意図していたのか、それならそれを意図したのは誰なのか。手違いで承認のような形になったのか。しかし、総会当日、承認されないと明日から組織活動できないという、あり得ないことを言ってまで、質疑を打ち切り、承認させようとした点からすると、手違いとは思えない。意図的なものを感じる。検証して、責任を明確にすべきである。

(5) 誤った方向へ誘導した総会の議事運営方法は、あり得ない理由で質疑を打ち切られた質問者をはじめ、当日総会に出席していた全会員に対し、極めて非礼であり、謝罪をすべきであると思われる。会員にとって、総会で質問したり、議論したりするのは、当然の権利である。それが奪われたのである。会員の権利に関することであり、責任の所在を明らかにすべきではないか。

以上

上記意見1-5に対する回答と対応をいただきたく要望いたします。

平野敬子
2016年9月30日

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JAGDA文書は、文書作成の成り立ちや経緯が不明である上に、総会で発表された方法論が不適正であり、更には理事会と運営委員会で審議されていない文書であるにもかかわらず、「この文章は、JAGDA全理事、全運営委員により、幾度も議論と修正を重ねて、合意に達したものです。」という虚偽の記述の文面を、会長と副会長2名、計3名の記名入りの書面で全会員に郵送し、あげくの果てに、全理事と全運営委員に承認されていないにもかかわらず、今現在もJAGDA公式ホームページ上には、「全理事、全運営委員に承認を得て総括文がまとまりました」との虚偽の記載が公開され続けているという、これによって会員のみならず世間をも欺く行為を繰り返すデザイン団体からの「ご感想、ご意見などありましたら、事務局までお寄せいただければと思います。」という提案に対しては、文書の内容について言及せず、それ以前の問題である文書公開の経緯や現状について弁護士に分析していただき、法律家の見解をもとに異議を申し立てることが適正な方法であると考えました。

第1回五輪エンブレムコンペの審査委員のうち、5名がJAGDA会員(JAGDA特別顧問とJAGDA会長を含む)であり、入賞者3名共にJAGDA会員(JAGDA副会長1名を含む)、招待作家も8名全員がJAGDA会員という、JAGDAによって構成されていたといっても過言ではない五輪エンブレムコンペであったにもかかわらず、JAGDA公式見解文書の作成にあたっては、審査委員全員が守秘義務契約書にサインしていないという事実がありながら、執筆者と執筆者の同僚の審査委員を除いた審査委員と入選者と招待作家の誰からも話を聞かずに作成されました。この不可解な方法論の理由として考えられるのは、当事者の話を聞くことで事実が記録されては困ると考えた人物が事を動かしているからでしょうか。私以外の審査委員や入賞者、そして招待作家として当事者となった人たちは、JAGDA文書に異議を申し出ていないと思われますが、五輪エンブレム問題を巡る一連の著しく不適正な行為が、JAGDAという公益社団法人の名の下に繰り返されている現状を黙認し、当事者のひとりとしてのみならず、今を生きるグラフィックデザイナーのひとりとして責任を感じないのでしょうか。

このように、正邪や善悪、倫理といった行動原理の尺度となるものが存在しない世界の末路はどうなっていくのでしょう。虚無主義の蔓延が、五輪エンブレム問題を肥大化させ、拡張させ続けているというのに。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める