047 おとぎの国の物語

ブログでの発言行動を起こして以来、更新にこれほど間が空いたことはありません。発言が止まったのは、弁護士からの文書に怖じ気づいたわけでも、健康の理由でもなく、仕事に忙殺されてはいるものの、多忙が理由ではありません。まだまだ記録すべきことがありますので、この間、複数本文章を書き上げて更新しようとしましたが、その度に更新の手が止まりました。

なぜ更新できなかったのか、今から説明させていただきます。

JAGDA最高顧問、会長、副会長、そして複数の会員が関わり参加していた初回五輪エンブレムコンペから派生した社会問題に対して、日本グラフィックデザイナー協会は会としての考えを表明せず、個人も発言せず、沈黙を続け今に至ります。JAGDAは「JAGDA見解文書」を公式見解と言うのでしょうが、あの文書が五輪エンブレム問題に対するJAGDAの公式見解だとするならば、今後、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の発言や行動が社会から信頼を得る日はこないでしょう。

初回五輪エンブレムコンペにおいて応募要項の草案にアドバイスし、審査委員の人選に関わるなど、コンペ構築に深く関与した人たちが五輪エンブレムコンペを私物化したように、今またJAGDAを私物化し、公益社団法人の総会の機会を利用して、『東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会エンブレム第1回設計競技について』と名付けられた成り立ち不明の文書を表出させました。その文書は、初回コンペの審査委員代表を除く審査委員や1位案制作者、執筆者を除く入選者、招待作家、出品者といったコンペの関係者からは一切話を聞かず、ひとりの人間が執筆するという不可解な方法で作られました。要するに「JAGDA」の名と社会的立場を利用した虚偽の創作文なのです。そして、2016年6月25日に開催されたJAGDA2016年度総会の場で前触れもなく突然に、執筆者による朗読が始まり、成り立ち不明の議案にはなれない文書が議案として発表され、嘘の議事承認ごっこで承認されました。しかし、当ブログで不適正な承認経緯の事実を指摘され、事実が公になった1ヶ月後、文書は決議事項ではないと主張しはじめました。その後、見解文書の中の、事実歪曲が顕著にわかる自作の「年表」などを除いた文書の一部をJAGDAのウェブサイトで公開しました。会員に対して文書への意見を募りながら、集まった意見や質問について理事会と運営委員会で討議されず、質問に答えず、公開質問の場や議論の場を設けたいという会員の申し出に対して「新たな対応を行う必要はない」と却下するというJAGDA三役(会長と副会長)の意向を弁護士に送らせました。三役のみならず理事と運営委員もこの異常な状況に対して口を閉ざしています。このように責任者は名を伏せて裏で指示を出して行われる様々な行為が、「日本で唯一のグラフィックデザイナーの全国組織」と謳っている公益社団法人の中で平然と行われていているという事実を記録してきました。

責任者の責任回避のために送り主は顧問弁護士、「事務局の見解」というおかしなタイトルが付けられた質問への回答文には、文脈が繋がらない不自然な文章が唐突に記述されていました。

(*青字は、弁護士経由で2月2日に届いたJAGDA三役の回答文の抜粋)
—————————————————

拝復

今回のご質問については、すでに詳しく回答済みであり、さらに回答する必要があるものとは認められません。繰り返しになりますが、「JAGDA見解」は、全理事および全運営委員の承認を経た組織見解であり、定款上、総会承認は必要であるとは言えないことは、貴殿側の弁護士も指摘されているところです。

ちなみに、「JAGDA VISION」(2010年5月18日理事会承認、2010年6月5日通常総会報告)は、冒頭で、「広く社会や行政に向き合い、コミュニケーションにおけるデザインの可能性を問いかけ発信する」ことを謳っております。

また、「JAGDA見解」が総会の決議事項ではないことは、全会員に周知済み(2016年8月12日、JAGDA代表Eメールにより配信。件名「【JAGDA】エンブレム見解文について」)のため、今回のご提案に即した新たな対応を行う必要はないと考えております。‥‥(2017年2月2日に届いたJAGDA回答文より)


—————————————————

不自然だと感じた文章を以下に抜き出します。

ちなみに、「JAGDA VISION」(2010年5月18日理事会承認、2010年6月5日通常総会報告)は、冒頭で、「広く社会や行政に向き合い、コミュニケーションにおけるデザインの可能性を問いかけ発信する」ことを謳っております。

「ちなみに」という接続詞が用いられ、文脈が繋がらない一文がわざわざ挿入されている意味は何なのか考えてみました。今までの経緯からすると、JAGDAの回答文はこのブログで公表されるという前提でこの文書は作られているでしょうから、不自然に感じた一文は、このブログを読んで下さる人々に向けてJAGDAが伝えたいメッセージだと考えることが順等でしょう。しかし、問題が起きて今日までデザイン団体として、またデザイナー個人としても社会に向けて発言せずに問題から逃げ、異議を唱える会員と向き合わず、社会に向き合おうとしないデザイン団体から、

ちなみに「JAGDA VISION」は、冒頭で、「広く社会や行政に向き合い、コミュニケーションにおけるデザインの可能性を問いかけ発信する」ことを謳っております。

というメッセージが伝えられたとしても、誰も言葉通りには受け止めないと思います。

この「広く社会や行政に向き合い」という身勝手な妄想文を読まされて、心底、気持ち悪くなりました。これがブログを更新できなかった理由です。

ブログという公の場で事実を記録することで公の目にさらされ、そのことが抑止力になればと記録を続けてきましたが、抑止力にもならず、自浄作用も働かず、改善の道が見えないことを無念に思います。こんなギミックが通用すると思っている、どこまでも世間の目を舐めた客観性の無さを恐ろしいと思います。

この気持ちの悪さに引きずられて、ブログを更新することができませんでしたが、ここにきてひとつのイメージが湧き、心を支配していた気持ち悪さから抜け出すことができました。

デザインが介在する様々な現象は『おとぎの国の物語』なのだというイメージ。

五輪エンブレム問題に深く関与したJAGDAに属するニッポン・デザイン国の住人たちは「妄想」の世界に生きていて、JAGDAはおとぎの国、JAGDA会員はおとぎの国の住人。おとぎの国の住人と対話しているのだと考えると気持ち悪さが軽減し、救い様のないこの状況を少しは楽しめるようになりました。

おとぎの国の法律では、嘘をつくことは悪いことではありません。例えば虚偽の文書を公式見解文書と言ってもへっちゃらです。

さらにイメージが湧きました。

童話『シンデレラ』では魔法使いがかけた魔法でカボチャが馬車に、ハツカネズミは白馬になりましたが、現代ニッポンでは、有名デザイナーや有名アートディレクターや有名大手広告代理店が「デザインが世界を変える」や「デザインが創る未来」や「デザインが生む経済効果」といった呪文をとなえると、あら不思議、丸や四角や直線というシンプルな図形が絶世のシンボルとしてほめ讃えられ、たくさんお金がいただけます。現代ニッポンには、有名デザイナーや有名アートディレクターや有名大手広告代理店が大好きな「はだかの王様」や「はだかの役人」がたくさん住んでいて、「デザインが」とか「未来が」とか「日本の」とかいう呪文をとなえる魔法はひっぱりだこです。

しかし、五輪エンブレム騒動が起きて、有名デザイナーや有名アートディレクターや有名大手広告代理店がかけた魔法は解け、人々は夢から覚めました。そしておとぎの世界は現実の世界に戻りました。

おとぎの国の法律では、談合コンペや不正審査を行うことは悪いことではありません。ですので、おとぎの国の住人は誰が何と言おうともいっさい謝罪いたしません。謝罪が何かもわかりません。おとぎの国の住人は、デザイナー以外の人を「一般の人」と名付け、時に「一般国民」と呼んでいて、上から下へ見下します。インターネットで炎上しても、自分たち(デザイナー)のせいではなく、騒ぐ人たち(一般の人)が悪いと思っています。おとぎの国の住人は、時が経てば世間は忘れてくれると楽観的に考える傾向があります。おとぎの国には「反省」という言葉がありません。自分たち(デザイナー)の間違いは、人(一般の人)のせい、どこまでも自分たち(デザイナー)を肯定し、社会から信頼を失っても、信頼しない社会の方がおかしいと考えます。どこまでもポジティブです。そもそも「信頼」とは何のことだかわかりません。おとぎの国はファンタジーの世界なので、歴史を改竄(かいざん)してもへっちゃらです。おとぎの国にはデザインの尊厳などありません。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める

お知らせ:2016年11月1日発売の『建築ジャーナル』(11月号)の特集「五輪を嗤う」に寄稿しました。
http://www.kj-web.or.jp/