033 今を生きる

2016年4月25日、五輪エンブレム決定案が発表されました。ブログ032章で最終候補4作品の公開プレゼンテーションについての考察を公開しましたので、決定案発表後の考察も速やかに記述したいと考えておりましたが、物理的に執筆が不可能な状況でしたため、ブログを更新することができませんでした。私的なことになりますが、更新できなかった理由を説明させて頂きます。

かねてより健康上の問題を抱えておりまして、この数年間は仕事をセーブしながら療養中心の生活を送ってきましたが、今年に入り病状が悪化したために、手術を余儀なくされ入院しておりました。手術前に心労の種は増やしたくはありませんでしたので、先に決まっていた手術の日程と決定案発表の日が重ならないようにと願っていましたが、手術と五輪エンブレム決定案の発表が同じ日の同じ時刻に行われるという皮肉な巡り合わせになりました。

入院中は術後の回復に専念するために、すべての情報を遮断しましたのでリアルタイムに情報を共有できておらず、決定案につきましては退院後に知りました。五輪エンブレム決定案の発表直後から、ブログ032章の記述内容を取り上げて「予想的中」と起草された記事が複数のメディアで出たそうですが、すべては退院後に人を介して知りました。

ブログ032章の一部を引用して書き起こされたメディアの記事の中には、ブログの記述内容の主旨から乖離した刺激的な言葉を誇張することで歪曲して見える記事もあり、本来の主旨から逸脱し誤訳された内容が、あたかもブログにおける見解のように拡散している状況に心を痛めてきましたが、五輪エンブレム問題の考察を重ねていく中で見えてきたことがあり、それらの記事に反論する気持ちは失せていきました。

なぜならば、組織委員会による前回コンペの結論付けの方法や、白紙撤回後の仕切り直しのコンペのことを「公明正大なコンペ」、「透明性」、「国民参画のコンペ」というわかり易い言葉で形容し、コンペの正当性を繰り返しうたいながらもその実は、選考の経緯の具体的な内容の説明はなく、14,599点の中からどのような理由で最終候補の4作品が選ばれたのか、1位案が選ばれた理由は何なのかという、審査の根幹に関わる説明がいっさいなされずに、これでは選ばれた人たちにも、選ばれなかった人たちにも、審査委員に対しても非礼なことではないかと思うのです。せっかくあれほどの体制を構築されて、万全を期して臨まれたコンペでありながら、実質的な部分の内容説明がないことで不透明さが高まった納得度の低いコンペの実態は、国民の多くが知るところであり、このような組織委員会の方法論に対する疑念や不満やいら立ちといったものが、メディアの記事やSNSでの発言行動に繋がっているのではないかと考えるようになったからです。

そうはいってもあまりにもかけ離れた内容を目にすると、心に痛みが走ります。今の私にできることは、人心を煽ることを目的とした挑発的な言葉で構成された記事からの理解で終わらずに、ブログの原文を読んで頂き、意図を読み解いて頂けないかと願うことだけです。

まだ退院から間もないこともありまして、現時点では情報を把握できておりませんため時間を頂くことになりますが、五輪エンブレム決定に関しても見解を記述したいと思っています。五輪エンブレム決定案に言及しないということは、今を生きるデザイナーとして不自然なことだと思いますし、言及するということは、五輪エンブレム決定のために尽力された関係者のみなさまや出品者のみなさま、ブログを読んで下さっているみなさまに対する「礼節」であると考えます。

五輪エンブレム問題を経験し、情報発信側に立つ人の多くが「情報をコントロールしたい病」に侵されているということを、今までにも増して認識するようになりました。情報発信元の都合に合わせて統御され、コントロールされた情報を言葉どうりに受け取るのではなく、個人が自らの見識を高め、真実を見抜く眼と力を身に付けること、情報収集力とともに情報精査力を身に付けていくことで、プロパガンダの呪縛から開放されるということを、今は確信しています。

千変万化する世相の中で、諦めという気持ちに支配されることなく、考えることを放棄しない意思の力を身に付けることによって、主体的に生きる自由を獲得できるのだと思います。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める