004 知らされなかった招待作家

2015年9月28日に行われた組織委員会の記者会見で、公募前の2014年9月9日に、8名のデザイナーにコンペ参加要請文を送付していた事実が明かされました。この会見によって私は招待作家(招待デザイナー)の存在をはじめて知りました。審査に関連するこのような大切なことを、審査委員でありながらまったく知らされなかったことに驚愕しています。

そして、9月28日の記者会見から3日後の10月1日に発売された週刊誌に、組織委員会の発表した内容よりもはるかに詳細で具体性のある記事が掲載され、招待作家に関して組織委員会と特定の審査委員(招待作家に依頼の手紙を出した永井一正さんと高崎卓馬さん)しか知り得なかった新たな事実が、公のものとなりました。

過去の事例を調べたところ、他のコンペでも招待作家の実施例があり、招待作家制度自体は合法的な方法論だといえると思います。では、なぜ、公表しなかったのでしょうか。

招待作家制度が問題なのではなく、組織委員会とともに特定の審査委員が招待作家について認識し、それ以外の審査委員のひとりである私に知らされていなかったことが大問題であると考えます。出品者についても同様に、8名の招待作家以外の96名の出品者に対し、招待作家について知らせていないということが問題なのです。招待作家制度自体は問題ではないのですから事前に情報公開すればよいことなのに、秘密裏に進められたことによって不審に思われても仕方のない状況を、組織委員会が自ら招いてしまったのではないでしょうか。

本筋からすこし離れますが、2015年9月28日の組織委員会の報告書には、特定の審査委員以外の審査委員に招待作家のことを知らせていなかった事実については一切ふれられておらず、招待作家の人選を行った人に関する記述もありませんでした。また、招待作家以外の出品者に対して知らせていなかったという事実についての記載もなく、自明の重要な事実が記録されておらず、当事者である私自身も理解できない文脈になっています。このように感じるのは9月28日の報告書だけではありません。8月28日、9月1日に行われた記者会見においても同様に感じており、このことがこのブログをはじめる動機のひとつになりました。

2014年9月3日に行われた、組織委員会の担当者との審査概要説明の打ち合わせのときに、招待作家について聞いたような記憶はあるものの、そのときは招待作家の有無について説明を受けたわけではなく、人数や名前などの具体的な内容に関する言及はありませんでした。そしてそれ以降、審査当日も含め、招待作家に関する話を聞く機会はありませんでした。

審査の公正性を表明するのであれば、審査委員全員と出品者全員が、審査に関する情報を等しく共有しなければならないはずですが、招待作家のことを知っている審査委員と知らない審査委員の二種類の審査委員が存在し、招待作家のことを知っている出品者と知らない出品者の二種類の出品者が存在するという事実が明らかになったいまとなっては、審査の公正性の前提が崩れたといえるのではないでしょうか。

9月28日の記者発表で招待作家の存在を知り、審査会場でのある出来事の記憶とつながりました。審査も二日目となり、佳境に入り、審査に集中している緊迫した状況の最中に、組織委員会の担当者の、「…これは招待作家の作品だから残さなくていいのか…」といった内容の発言を耳にしました。そのときは招待作家の存在自体を認識しておらず、私に向けられたことばではなかったために深追いしませんでしたが、いまになりあの気になる発言の記憶がよみがえりました。そしてようやく発言の意味が理解できたのです。招待作家の作品は得票数に関係なく、ある段階まで残すことが一部の関係者の間でルール化されていたのでしょうか。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める