028 無責任主義の村

リクルートホールディングスの運営する“クリエイションギャラリーG8”において、ギャラリー設立30年を振り返る展示と30回のトークイベントによる展覧会「30年30話」が2月1日より始まりました。今を遡ること30年前、リクルート創業者の江副浩正氏の盟友であったグラフィックデザイナーの亀倉雄策氏によってギャラリーの礎が築かれて以降、クリエイションの未来を創る人材を発掘し、育て、未知なる才能へ投資するという、ベンチャー企業のパイオニアであるリクルートらしいユニークな活動が、30年にわたり実践されました。

ギャラリーの30周年を記念する展覧会「30年30話」への作品出品の要請が、展覧会開催初日の10日前にありました。奇しくも、このギャラリーの創設者といえる亀倉氏が、1964年の前回オリンピックのシンボルマークやポスターをデザインし、日本のグラフィックデザインの発展を目指したギャラリーの30周年を記念する展覧会で、日本のグラフィックデザイン界の信頼を世界的に失墜させた、2020年東京五輪エンブレム問題の関係者が多数参加する展覧会が行われるとは、何という皮肉な巡り合わせなのでしょう。

送られてきた企画書を読み、五輪エンブレム問題について、相変わらず無責任な態度を貫く人々と同じ空間に作品を展示することに対して著しく違和感を覚えましたし、何ひとつ解決していない現状において、そのような企画に参加すべきではないと判断し、理由を伝え、即日に展覧会への不参加の意向を伝えました。同じく審査委員であった長嶋りかこさんも、私と同様の理由で展覧会の出品依頼を辞退されたということを、後日、本人から聞きました。ギャラリーの担当者には、私の展覧会開催時にお世話になっておりますし、この場所でのかけがえのない思い出もありますので、個人的には苦渋の思いでしたが、社会的責任を負う者として公的立場で考えると、辞退することに迷いはありませんでした。

長嶋さんはエンブレム問題が起きた直後に、所属していた日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)と東京ADCをご自身の意思で退会されました。長嶋さんから退会について、「今回のことがあり、今まで私の実力以上の評価をいただいてきたことに気が付きました。今後のデザイナー人生をきちんと歩むためにもゼロに立ち戻り、次に進んで行くために、退会届けを出しました。」という理由を教えていただきました。審査までは交流がなく、どういう考えをお持ちなのか知りませんでしたが、本質的な考えを優先し、筋を通す方だということを、このときに理解しました。今回の問題での長嶋さんの苦しみは想像もできませんが、この度の経験を糧として、このような高次元の心境に到達されたことに救いがあると思いました。

関係者は何も語らないままで、なぜ長嶋さんが退会しなければならないのか、そしてこの退会届に対しても当該団体は策を講じずに、善良な人のみが会を去るという、本人にとって未来への前向きな選択とはいえ、心中を察すると無念でならず、自分のことでは涙は出ないのに、話を聞き、悔しくて泣きました。長嶋さんは前回コンペの1位案制作者と同じ職場であったことが要因して、審査の公平性を疑われ、批判の的となりました。しかし、審査委員の選定は組織委員会が決めたことですし、私と同じく時間がない中での依頼という状況の上に、我々の他にも1名の女性審査委員の候補者がいましたが、その方が早々に辞退されたために女性の審査委員が決まっておらず、あの時の状況では審査委員を引き受けるという選択肢しかなかったと思います。組織委員会の組み立てたいい加減なコンペの審査委員を善意から引き受けたばかりに、もっとも辛い思いをされているひとりだと思います。

エンブレム問題が起きて当初案が白紙撤回になって以降、関係者の中ではただひとり、長嶋さんとは連絡をとることができました。ですので、長嶋さんが組織委員会の調査を受けたことも調査終了後に聞いています。調査を受けた目的である、問題解明に向けての事実の記録化を望まれていましたが、長嶋さんが調査員に話した内容が何ひとつ調査報告書には記録されず、事実が公表されなかったという、調査の不当性を裏付ける話も聞きました。エンブレム問題の渦中も今も、コンペ関係者に信頼関係を築ける人がいない中で、審査委員としての経験を共にした者として長嶋さんとコミュニケーションがとれることで、恐怖や孤独から救われました。審査時の長嶋さんの発言や行動に怪しさや矛盾点がなかったことを、そして他の誰よりも真剣に審査に向かわれていた姿を記憶しておりますので、事実の記録としてここに記述いたします。私以外の唯一の女性審査委員を守れなかったことを後悔しています。

組織委員会も、審査で不正行為を行った人々も、1位案制作者も、審査委員も、当事者は誰も説明せず、関係者が沈黙を貫いていますが、例えば誰がどのような経緯と理由によって審査委員を選定したのか、嘘のない事実関係を説明してくれれば、長嶋さんへの憶測による疑いは晴れたのではないかと思います。長嶋さんが会を退いた背景には、このように、保身のためには他人の不幸など厭わないという、無責任で非情な人たちとは信頼関係が育めないとの思いで見限られたのではないかと想像しています。そして自らの意思で、デザインの探求の正道を選ばれたのだと思います。

‥‥2016年になり、ひき続き文章を執筆してきましたが、ブログを更新しようとする度に抑止力が働いて、文章を公表するに至りませんでした。この抑止力は外圧によるものではなく、あくまでも自らの意思が働いた結果です。‥‥ブログ027の文中で、更新できなかった理由を「抑止力」という文言で表現しましたが、この「抑止力」の因は一義的ではなく、複合的な理由に由来しておりますが、リクルートから送られてきた展覧会の依頼書と企画書を読んだ際も、ブログ更新の手が止まりました。

亀倉氏が創設に尽力されたギャラリーで、五輪エンブレム問題の関係者が何事もなかったように出演し、作品展示するという企画内容を容認できませんし、道理から外れたことだと思います。どのような考えに基づくかはわかりませんが、告知チラシやホームページ上に、展示作品の出品者名が記述されていないことも不自然で、展覧会企画としては無責任な方法だと思います。このような主催者側の当事者意識の欠如と状況認識の甘さが、救いようのない状況を悪化させているのではないでしょうか。

“クリエイションギャラリーG8”は、亀倉雄策賞展の会場でもありますが、展覧会の運営は、昼夜をいとわずに時間を拘束される過酷な労働の側面もあり、奉仕の精神がなければ成り立たない、頭の下がる仕事です。このような尊い社会貢献活動だからこそ、いま、この時に、30年目の記録としての展覧会を行うのであれば、グラフィックデザイン史上かつてない汚点を残した五輪エンブレム問題を正面に見据え、この場所でしか成し得ない、意味のある展覧会のテーマや企画やアプローチがあったのではないかと思うと残念でなりません。因果の理法に則ると、負の要因を残したままで健全な未来を築くことはできません。現実に目をそらさずに向き合って、最善の策を講じたのちに進むことに真があり、問題の当事者は間違いを認め、反省し、身を正し、また同時代を生きるクリエイターは、自分の問題として現実に起こったことに目を背けず、それぞれの立場から考え、行動を起こすこと、これがいまを生きる者としての未来の人たちへの責任の取り方だと思うのです。

エンブレム問題の起点となった2015年8月5日の記者会見から遡ること5ヶ月前、“クリエイションギャラリーG8”では、JAGDAが共催する第17回亀倉雄策賞受賞記念展「佐野研二郎展」が開催されました。この時系列の事実関係を見てみても、当ギャラリーが望まずとも、事実としてエンブレム問題に関与しており、そのことに無自覚であってはならないと思います。だからこそ、亀倉氏の志を受け継ぐ場所としての筋の通った展覧会のアプローチがあったのではないかと思うのです。このように、五輪エンブレム問題は、公に名前が出ている関係者だけの問題ではありません。たまたま名前は出ていませんが、1位案制作者以外にも、組織委員会のクリエイティブディレクターと親しく仕事を組んでいたクリエイターがコンペに参加している事実があり、己の心に照らして考えてみれば、当人たちには思い当たる節があるはずだと思いますが、これらの人たちも出演者として何食わぬ顔でこの展覧会に参加しています。

五輪エンブレム問題と同時期に浮上した、組織委員会のクリエイティブディレクターが企画した飲料メーカーのキャンペーンにおけるデザイン盗作の事実などを黙殺する広告業界とグラフィックデザイン業界の歪な仲間意識は排他的な無責任主義と言え、ここには愛はありません。この無責任主義の村の副産物として五輪エンブレム問題は起き、起こるべくして起こった事象だと分析しています。そしてこのまま無責任主義を放置しておくと、これからも新たな五輪エンブレム問題は起こり続けることでしょう。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める