『公』の媒体における発言行動への考察という観点から、グラフィックデザイナーの原研哉氏の新聞寄稿文に対する異論をブログ030章から3回にわたり記述するなかで、新聞寄稿文とともにツイッターでの発言についても公の媒体との理解から同等に扱いましたが、対話形式で形成され、他者との関係性から導き出された言葉や文章の場合、新聞媒体での発言とは責任の重さや意味が異なる特性となることを文章公開後に気付きましたため、ブログ031章と032章の文章を修正すべきであると判断し、急遽、下ろすことを決めました。この度のことは私の認識不足によるものです。いちど公開した文章を取り下げるという方法を行使しましたことを、そして再更新まで時間がかかりましたことを、心よりお詫び申し上げます。
改めまして、ブログ030章からひき続き、原氏の『公』の場での発言への異論を軸に、五輪エンブレム問題について考察したいと思います。
『‥‥門戸を開放すれば質が高まるわけではない。逆に薄まることが懸念される。フィギュアスケートでも、グランプリファイナルに出場するには実績が必要だし、五輪に出るにも標準記録を超えなくてはならない。精度の期待できないコンペには実績あるデザイナーは参加しない可能性がある。自分に送られてきた参加要請はその点を配慮する文面であった。‥‥(2015年10月5日 毎日新聞 原氏文章)』 主語がなく、主体が曖昧で分かりづらいため、装飾的な衣を取り除き、分かりやすく解釈すると、「公募方式をとると応募数が増えるけれども質は下がる。公募コンペによって質が薄まることが気がかりだ。精度の期待できない公募コンペには、実績あるデザイナーは参加しない可能性がある。招待作家要請の文面は公募コンペに実績あるデザイナーが参加しない可能性について配慮したものだった。」要するに、「公募コンペだと質が下がり、実績あるデザイナーは参加しない可能性があるため、招待作家制は必要だった。」と、公募式コンペへの危惧と招待作家の正当性と必然性、そして招待作家を受諾して特別枠でコンペに参加した理由が記してありました。文中の『自分に送られてきた参加要請はその点を配慮する文面であった。』との一文を読み、改めて原氏あての招待作家要請の文書を確認したところ、私の読解力では『その点を配慮する文面であった。』との記述の該当箇所を確認することは出来ませんでした。
この理屈に則ると、再コンペは飛躍的に門戸を開放していますので、原氏が出品しない可能性は高まりますが、今回も出品したという本人の弁を氏の関係者から聞いておりますので、門戸を開放した結果、『精度の期待できないコンペには実績あるデザイナーは参加しない可能性がある。』との予測を立てた当人の行動が、自身の予測に該当しなかったことを知り、『精度の期待できないコンペには実績あるデザイナーは参加しない可能性がある』との考えがどういう根拠に基づく発言だったのか、お聞きしたいと思いました。
開かれたコンペの提唱と同時に『門戸を開放すれば質が高まるわけではない。逆に薄まることが懸念される。‥‥精度の期待できないコンペには実績あるデザイナーは参加しない可能性がある。』と、開かれたコンペへの危惧を露わにし、実績あるデザイナー(=自分を含めた招待作家クラスの人)が参加しない可能性を示唆することで、「開かれたコンペを提唱し、開かれたコンペを危惧する」との二律背反する考えを文中に混在させながら、結果的に招待作家枠で参加したという事実を前にして、この立場で開かれたコンペの提唱者といえるのか、おおいに疑問は残ります。
さらに時間を遡り、2014年5月29日の原氏の新聞寄稿文を考察したいと思います。
『‥‥シンボルマークの設計をはじめとするあらゆるデザインや建築を意欲ある才能に開かれたコンペティションとし、そのプロセスを公開する。そして審査経過や結果の解説を丁寧に行い、設計競合そのものを広報資源として活用していくのである。老いも若きも、志と力量に覚えのある人々は、専門や領域を超えて自由に参加できる。ただし、公募の基準は実力を精査できる水準が求められることになるだろう。‥‥(2014年5月29日 毎日新聞 原氏文章「デザイン開花する東京五輪に」より)』(全文は原氏の会社ホームページ上に公開されています。)
確かに2年前の新聞寄稿文にも『意欲ある才能に開かれたコンペティション』『老いも若きも、志と力量に覚えのある人々は、専門や領域を超えて自由に参加できる。』とあり、一見『開かれたコンペ』を提唱しているように読めますが、やはりここでも同様に、『ただし、公募の基準は実力を精査できる水準が求められることになるだろう。』と、応募作品の質に対する杞憂とともに、コンペの公募基準への言及がなされており、「開かれたコンペを提唱し、開かれたコンペを危惧する」との相反する考えが並列する矛盾の構図が見られます。ここで疑問に思うのは、なぜそこまで公募基準や出品作品の質の高低が気になるのでしょう。それを気にしなければならないのは、責任を担う立場の主催者やコンペの企画運営者であり、「質が高まる」「質が薄まる」など、いち出品者には関係ないことだと思うのですが、原氏にとっては重要な関心事であるようです。
論点は少しずれますが、2014年5月29日の新聞に掲載された、原氏の『デザイン開花する東京五輪に』というタイトルの寄稿文を読み、文末に記された「日本デザインコミッティー 理事長」との表記を見て、個人の発言であるにもかかわらず、ひとつの属性のみを表記した箇所で、主たる属性である自らが代表取締役社長を務める会社、つまりは最も大きな社会的責任を負う所属会社名をあえて伏せ、なぜ「日本デザインコミッティー 理事長」と記すのか、日本デザインコミッティーのメンバーのひとりとして著しく違和感を抱きました。
日本デザインコミッティーは、創設メンバーに亀倉雄策、勝見勝、丹下健三といった1964年東京オリンピックの関係者たちが名を連ね、創設時から現代に至るまで、デザインの理想を探求する個が集い、非営利団体として歴史を重ねてきた場所ですが、個人的な発言行動でありながら、単独で記載し、象徴的に見えるプロフィールの欄に、「日本デザインコミッティー 理事長」と記載する意図について、前回東京オリンピックの時代を生きた創立メンバーから今に繋がる歴史をも包括したクリエイターの集団の代表者の意見のように見えることに意味があるのではないかと受け取りました。原氏とは異なる価値観で生き、氏のオリンピックに関する発言に賛同できないメンバーのひとりとしては、原氏のこの方法論は許容できることではありません。なぜならば、今回のように文末に組織の代表として記名する発言形式では、寄稿文が会の総意として受け取られる可能性がありますが、掲載前に確認はしておらず、この文章の内容は会の総意ではありません。よってこの方法は「日本デザインコミッティー」という公の組織名の私物化だと感じました。もし仮に、このような特別な場面においてどうしても「日本デザインコミッティー 代表」と書く必要性が生じた場合、私ならば寄稿文掲載前にメンバー全員に文章を事前確認してもらい、承諾を得たうえで、所属会社名とともに併記する方法を選択するでしょう。
論旨を戻しますが、新聞寄稿文の中に、『さらに今度は特定のデザイナーへの参加要請が不当な行為であったかのように報じられ始めた。』と記述されておりますが、招待作家が「特定のデザイナー」だったとしても、不当行為を行った参加者とは断定できず、審査委員が不正審査を行った審査委員と不正を行っていない審査委員の2種類に分かれるように、招待作家も2種類に分かれると考えており、招待作家だったからといって不当行為を行った人と決めつけることは早計であると考えます。組織委員会の行った偏った調査と不公平な記録により、事実が公にされない以上、身の潔白を証明するためには、各人が自分自身の心に問い、自ら真実を伝えていくしかないのだと思います。
2015年12月21日、組織委員会による情報漏洩の事故が起き、応募者全員のメールアドレスが応募者間で周知のこととなり、実績を積んだ実力ある人々が参加していたことを知りました。旧コンペに対する『精度の期待できないコンペには実績のあるデザイナーは参加しない可能性がある。』との発言は、私には実績ある一般参加者への非礼で差別的な発言に受け取れたのですが、そのことに無自覚であることが恐ろしいと思いました。旧五輪エンブレム・コンペは公募と謳いながら偏狭な応募資格があったため、エントリーできなかった人たちは悔しい思いをしたでしょうし、参加者も限りある時間の中、苦しい思いで応募作品を制作したことでしょう。このような応募資格が設けられたことで一般参加として94名しか出品できなかった旧コンペのことを、招待作家枠で参加した立場でありながら、『前代未聞の開かれたコンペ』と発言し、『精度の期待できないコンペ』と言い放つ、このような選民思想的な発想はいったいどこから湧いてくるのでしょう。五輪エンブレム問題の当事者に共通して見える、この「驕り(おごり)」という特性が、問題の根底に流れており、ことあるごとに悪影響を及ぼしてきたのだということを、いまは確信しています。
2014年5月29日の新聞寄稿文では、『一方、政治や行政に携わる人々は、実務の局面でデザインの潜在力に触れる機会が少なく、目に見えない膨大な才能や可能性に気がついていないかもしれない。自国の未来を可視化できる絶好機をいたずらに逸さないよう、提言をさせていただきたい。(2014年5月29日 毎日新聞 原氏文章より)』と、上位下達のような言い方で、政府に向けてオリンピックのデザインについての持論を述べておられますが、白紙撤回後の『‥‥競技場もエンブレムも、道を間違えたと思うなら一度下山して登り直せばいい。万全を期して頂上に着くことが重要なのだ。新たな密林に迷いこむことがないよう、衆知を尽くして設計競技が健全な方向に進むことを期待している。(2015年10月5日 毎日新聞 原氏文章)』との発言に至っては、もはや日本国の代表者の発言のように聞こえます。
公の場である新聞で、旧五輪エンブレム・コンペの正当性を主張する原氏の文章を読みながら、公式会見の席上で、旧コンペ1位案の正当性を「デザイン界の理解としては」というふうに、あたかもデザイン界の総意であるかのように印象付ける言葉をあえて選択し、不正審査の結果を擁護した永井一正氏の一連の言動を思い出しました。ふたりの発言や行動原理はとても似ていると思います。日本デザイン界の代表のように振る舞いながら、組織委員会を肯定する態度は崩さずに、デザインの専門家として組織委員会の決定方針をフォローするための意見を述べるという共通点が見られます。2020東京五輪に関連し、ふたりとも日本デザイン界の代表としての立ち位置から、オリンピックのデザインについて数々の発言行動を起こしてこられましたが、五輪エンブレム問題が起きて以降は、専門家の叡智で問題を正すことをせず、正すどころか一貫して組織委員会をフォローし、自身が関わる問題が発覚以降は説明を果たさずに、デザイン界のみならず国民をも巻き込んで混迷を深めているにもかかわらず、専門的観点からの具体的な改善策が講じられることはありませんでした。もっと早い段階で専門家として責任を果たすべく、組織委員会の問題を矯正し、導くことができたのならば、「デザインの死」を迎えることはなかったでしょう。
デザインの専門性は、オリンピックの経済効果を高めるためにあるのではありませんし、そのような目的は主従の従であるべきだと考えます。何のための専門性なのかと問うたとき、専門性を礎にして最良の判断を下すことで道を踏み外さぬように、暗闇の灯明となるために専門性はあるわけで、我欲を捨て、個を磨き、認識力を高めることで、はじめて専門性を社会に還元できるのだということを痛感しています。
平野敬子
平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める