036 イカサマ文書 by JAGDA – vol.1

2016年6月25日に京都で開催された日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の総会で、五輪エンブレム問題に関するJAGDAの公式見解が発表されました。その文書に目を通し、すぐさま「イカサマ」という言葉が脳裏に浮かびました。公益社団法人であるJAGDAが「五輪エンブレム問題に対する総括文」と位置づけて発表した公式見解文書は、審査委員として知り得た事実と乖離した虚偽が書かれており、不正の隠蔽、推察と想像による捏造、摺り替えや詭弁話法を駆使したイカサマ文書であり、五輪エンブレム問題の当事者が多数所属する公益社団法人という「公」の団体の公式見解文書とするには、客観性のない、稚拙でお粗末な内容でした。問題が起きて以降、コンペの審査委員として、会員としてJAGDA事務局に協力を惜しまない旨を伝えてきましたが、残念ながら、文書の制作協力や内容確認は依頼されず、それどころか文書が制作されていることすら知らされておりませんでした。どのような力学が働くと、このように救いようのない理不尽な状況を生めるのでしょうか。

五輪エンブレム問題が起きてより今日まで考察をつみ重ねてきましたが、この度のJAGDA文書の顛末により、ひとつの結論に到達しました。このような蛮行がまかり通る、無知で無秩序で無責任な業界体質が、五輪エンブレム問題の元凶であったと。

デザインの尊厳をかけて、これよりJAGDA文書の問題点についての解読を始めます。まずは、公式見解文書の承認の場となった総会の状況から説明いたします。

6月25日に開かれた総会の冒頭で、前触れもなく突然、「東京2020オリンピック•パラリンピック競技大会エンブレム第1回設計競技について」とのタイトルが付けられた、五輪エンブレム問題に関するJAGDAの公式見解が、副会長の原研哉氏によって読み上げられました。文書の朗読直後、会員の承認を取りつけるために「了解いただきたい」と原氏が会員に向けて同意を求めたところ、同意を示す拍手がわきましたが、総会に出席していた弊社の工藤青石が「この内容では了解はできない」と反論し、議論が始まりました。その後、工藤の質問に対して理事会の答えが行き詰まったところで「質疑応答の時間は当初から予定されていない」とする事務局の介入によって議論が中断され、反対者1名がいたものの、1名を除くその他全員賛成という形で、この文書がJAGDAの公式見解文書として承認されました。

このJAGDA文書のことを認知していたのは、14名の理事と30名の運営委員、そして事務局関係者に限られ、3千人を超す大多数の会員には、総会当日まで知らされていませんでした。通例では総会の承認事項の懸案、例えば会計報告書などの書類や資料は、総会出欠のハガキとともに事前に会員に向けて郵送され、総会欠席者はそれらの書類を確認したのちに委任状にサインをして返送するというプロセスを踏めることで、承認結果の正当性を担保していますが、なぜか会員にとって最大の関心事であろう、五輪エンブレム問題のJAGDA公式見解文書の公表と承認という議題については事前に知らされなかったために、総会に欠席した大多数の会員は文書が発表される事も知らず、当然のことながら、文書を読まずに内容を承認するという民主的ではない方法となりました。このように文書を精査し、考える余地がない状況では、会員は慣習に基づき、内容の如何にかかわらず、理事会の意向に賛同することは想像に難くなく、内容を確認せずに信頼性のない文書を承認したとするならば、知らないうちに問題に加担したことになるのです。

運営委員の中には、ブログで発言を続けている平野に事前確認をしないのかと問いかけた人もいたそうですが、理事会によって却下されたそうです。組織委員会の調査報告書は第三者委員会による調査という、しかるべきプロセスを経てまとめられましたが、JAGDAは五輪エンブレム問題の当事者である、審査委員や出品者、招待作家が多数在籍するグラフィックデザインの職能団体として、協力要請を請うことが容易であるはずにもかかわらず、関係者への聞き取りや確認が行われなかったのはなぜでしょう。なぜそうしたかったのでしょう。

JAGDA公式見解文書が審査委員に協力を求めなかった理由を考察するために、総会で行われた質疑応答の一部をここに記述いたします。総会の場で弊社の者が、「なぜ、JAGDA会員であり審査委員である平野に対して何ら質問はされないのか。平野はできるだけの真実をJAGDA会員に知らせたいという思いでブログを書いています。それに対して、この文書を書くにあたり平野にコンタクトしていません。審査委員に何も聞かずになぜ想像と思い込みの見解で協議し、3千人の同意を得るという形にするのか。なぜ審査委員に聞かないのか、その理由を知りたい。」という質問を行いましたが、それに対するJAGDA見解の代弁者である原氏の答えは、「今回のJAGDA見解はどの審査委員に対してもインタビューせず、特別に見解を聞いていません。審査委員は全員、守秘義務を持っており、審査に関していっさい発言しないという誓約書を出しているために審査委員に聞く事ができない」、「個的なブログの発言をいちいち気にしていくと収集がつかなくなってしまう」というものでした。

審査委員に協力を求めなかった理由を、「審査委員は全員守秘義務を持っている」、「審査に関していっさい発言しないという誓約書を出している」とするJAGDAの見解は、何を根拠とするのでしょう。結局のところ、根拠は何かという問いかけに対する明確な答えは得られませんでしたので、答えがないことが答えであり、つまりは、審査委員に協力を求めなかった理由は、根拠がない思い込みによるもの、もしくは嘘だったということになるでしょう。

初回審査において審査委員が秘密保持誓約書にサインをしていないことは、すでにブログ011章で明記しておりますので、一般常識的に考えますと、審査委員であり、尚かつJAGDA会員である者のブログを参考にせず、根拠も示さずに、秘密保持誓約書にサインをしていない事実を認識していなかったとする理屈は無理があると思いますが、ひとつ考えられることがあるとするならば、私以外の審査委員への配慮として、高崎卓馬氏1名を除く審査委員7名全員がサインをしていないという事実をあえて記述しておらず、その配慮が悪用された可能性があるかもしれません。現実には、審査委員は秘密保持誓約書にサインしておらず、守秘義務はなく、審査委員へ文書確認を依頼しなかった理由の「審査委員は全員、守秘義務を持っている」とする事実はなく、事実でないことを前提として「審査委員に対してインタビューをしていない」と正当化するJAGDAの理屈は、前提が崩れているために破綻しています。最も多くの情報をもつ審査委員から情報を得ていない文書の信頼性は著しく低いと断言できるでしょう。

「個的なブログの発言をいちいち気にしていくと収集がつかなくなってしまう」とのJAGDAの見解からは、平野のブログを気にしない、つまりは無視するというJAGDAのスタンスを伺い知ることができましたので、公式見解文書制作の協力要請がなかった理由や背景について少しは理解しましたが、ブログの発言を気にしないという反応は、情報価値がないとの判断だと理解すべきなのか、それとも逆に情報価値を意識して、見て見ぬふりをしたいのか、真意を図ることはできませんが、いずれにせよ、何があっても虚無感に支配されることなく、誤解を恐れず、未来ある人たちのことを思い、粛々とやるべきことを推し進めたいと思います。

文書の解読は、ブログ037章より記述いたします。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める