015 金銭感覚と敬意の相対性

この章では、五輪エンブレム審査会における審査委員の審査料「審査員謝礼」(公式書類に表記された名称)から端を発し、組織委員会の金銭感覚と敬意の相対性について考察します。

審査員謝礼について、私の個人的な考えとして、このような役割に対して対価することをよしとしないポリシーをもっているために、辞退したい旨を伝えましたところ、難色を示されたため、『公』の決まり事に対して秩序を乱すことになるのではないかと考え直し、時間の猶予がないという状況もあり、お受けすることにいたしました。審査員謝礼の金額は、1日23,200円と設定されており、審査会3日分の69,600円(交通費含む)という金額が定められておりました。それを受け取るにあたっては、用意された「承諾書」、「審査員謝礼について」、「口座振替依頼書」を含む、合計4枚の書類の指定箇所に署名と押印をし、すこし手間がかかると思いましたが、かえってこのやりとりで、お金の扱いをきっちりとしているという良い印象を抱きました。このような事象ではありますが、これからのオリンピックまでの長い道のりを考えますと、門外漢でありながら、会計処理の担当者の仕事の量の多さが心配になりました。

受け取りました審査員謝礼は、9月中旬に、組織委員会の担当者宛に、現金書留で返金いたしました。2015年9月1日に五輪エンブレムの白紙撤回が決定し、審査委員を依頼されてより白紙撤回になるまでの出来事を振り返り、特に、8月5日の記者会見以降の組織委員会の対応に対する行き場のない感情から、組織委員会からのお金は1円であっても受け取りたくないという気持ちが、返金という行動に結びつきました。時が経つにつれ、審査自体が無効になったという状況を考え、この審査員謝礼にも東京都の税金などが使われているのかもしれないとの思いもあり、さらには、3日分と設定されていた審査を2日しか行わなかったという矛盾点に気付いたりと、とにかく受け取ったままにしたくないという考えは強まりました。

いちどはお受けした、たいせつな審査員謝礼の返金ですので、担当者に届いたかどうか、どういう扱いになるのかを確認したいと思いまして、返金直前とそれ以降、組織委員会の3名の担当者に対してメールを送り、返金についてお伝えしましたが、2ヶ月経った今も、戻したお金が届いたかどうかの返事をいただいておりません。9月中旬頃は、白紙撤回後の渦中でしたので、このような小さな事柄に対応できる状況でないことは想像できましたので、後日、後任の担当者に連絡をしましたが、返信をいただくことはありませんでした。

9月4日、組織委員会は、今回のエンブレム選考から決定、発表に至るまでにかかった費用の内訳を公表しました。

国際商標調査登録申請の費用:約4,700万円
応募用ホームページの作成、審査委員の日当、審査会場のレンタル費等の諸経費:約900万円
ポスターや名刺の印刷費用等:約100万円
7月24日のエンブレム発表イベント費用:約6,900万円

この内訳を見てみると、数時間のエンブレムお披露目のために、6,900万円を投入できる金銭感覚というものが、何に起因しているのか、不思議でなりませんでした。このように、エンブレム発表イベントという展開にお金をかけるという発想と、エンブレム選定の審査基準として展開力を重要視したことの関連性や因果関係はあるのでしょうか。

エンブレム発表会場の写真を見たときに、突然に、「平成」の元号が発表されたときの会見を思い出しました。かつて、「平成」の元号が小渕恵三官房長官によって発表されたときの会見は、「平成」という墨の筆文字が描かれている真白いボードを持ち上げるという、演出がない、ただそれだけの発表会見でしたが、その作法含めてとても美しく、誠実に見えたことを鮮烈に憶えています。昭和天皇の崩御という、深い悲しみのあとに行われた新しい元号の発表ですので、喪に服す意味も含めて、静謐な方法にならざるを得ないことも理解したうえで、質素でありながら凛々しく、美しい有り様に、日本人としての、美意識や美学を見いだすことができました。

この美しい有り様とは対照的な、エンブレム発表イベントの制作に6,900万円もの費用をかけるということは、一般常識的な価値観からすると、『公』のお金を大切にしているようにはとても思えない、特別な金銭感覚であると感じています。果たして、それに見合う価値や成果が、あの発表会にあったのでしょうか。そして、このような特別な金銭感覚と、審査委員への敬意が感じられない対応とには、共通するメンタリティがあるように感じています。このことは、入選者以外の101人の出品者に対して、作品を提出して以降、いっさいの連絡がないという、クリエイターやクリエイションへの無理解や敬意のなさとも通じることなのだと思います。ちなみに、エンブレム発表会について、永井一正さん以外の審査委員に対しては、発表会がいつどこで何時から行われるということですら、おそらく正式には連絡がなかったと思います。少なくとも、私は連絡をいただいておりませんし、招待されておりません。

次のエンブレム発表会も、6,900万円をかけて制作するのでしょうか。あえてディレクションをするならば、「平成」の元号発表の方法にならうことをアドバイスいたします。そうすれば、きっと実のある、日本らしい、清々しく、美しい発表会になることでしょう。

私ごとではありますが、この度の五輪エンブレム問題と向き合い、考察を続けるにあたり、佐藤一斎の思想の書である『言志四録』を、こころの指針としてきました。

官に居るに、好ましき字面四有り、公の字、正の字、清の字、敬の字。能く之を守らば、以て過無かる可し。好ましからざる字面も亦四有り。私の字、邪の字、濁の字、傲の字。苟くも之を犯せば、皆禍を取るの道なり。
(佐藤一斎『言志後録』14条)

官職にある者にとって好ましい文字が四つある。公・正・清・敬の四字である。公は公平無私を、正は正直を、清は清廉潔白を、敬は敬慎を意味する。よくこの四つの事を守っていけば決して過失を犯すことはない。また、好ましくない文字が四つある。私・邪・濁・傲の四字である。私は不公平を、邪は邪悪を、濁は不品行を、傲は傲慢(おごりたかぶる)を意味する。かりにもこの四つの事を犯したならば、みな禍を招くことになる。
(出典:佐藤一斎 著・久須本文雄 全訳注 (1994) 『座右版 言志四録』 講談社.)

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める