003 『展開』『展開性』『展開力』

審査委員依頼の打ち合わせを行った2014年9月3日の2日前に、組織委員会担当者より審査委員打診のメールが入りました。そのメールには、「…電通のクリエイティブ・ディレクターであり、東京オリンピック・パラリンピック委員会のクリエイティブ・ディレクターでもある高崎卓馬からのお手紙も添付いたします…(原文ママ)」との記述とともに、高崎さんの依頼の手紙と審査概要の書類、「2020年オリンピック・パラリンピック東京大会 シンボルマーク/エンブレム選考について」が添付されており、その書類で『展開性』という文言をはじめて認知しました。

エンブレム問題発覚後の情報収集でわかったことですが、私にとって聞き慣れない『展開性』や『展開力』という文言は、広告業界では一般的に使用される用語のようで、ネット上に公開されている広告代理店の報告書類にこの文言が記載されており、広告業界用語であることを理解しました。

このたびの審査では、この『展開力』という文言が頻繁に登場します。先述の審査概要の書類からはじまり、審査委員依頼時の打ち合わせの際に、「今回のエンブレム審査では展開力という視点が重要だと考えています」との説明を受けました。個人で応募という条件のうえに、応募期間が短期間ということもあり、出品者の物理的な負担を考えると、「審査の視点として第一義であるべきなのはエンブレムの造形性であって、具体的な展開は二の次ではないでしょうか。展開については、デザイン決定後にチームを組んで計画すれば良いのですから」という意見を述べましたところ、意に介さないといった反応をされました。

なぜこのやりとりを鮮明に記憶しているかというと、はじめて目を通した審査概要の書類に、『展開性』という文言が重要な意味をなす言葉として引用されており、この『展開性』という聞き慣れない言葉に違和感を感じたことと、オリンピックのエンブレム開発という重要なミッションにおいては、現代における最高峰のイメージとなるシンボルを創出することが目的の主体であるはずなのに、『展開』という従の部分をクローズアップしようとする組織委員会の方針に対し、不自然さを感じたからです。

審査初日の朝に行われた審査方法の説明の席でも、審査委員を兼任する高崎さんから、「審査では展開力を評価してください」との説明が加えられ、『展開』『展開性』『展開力』と、言葉を使い分けながら連呼される『展開力』が評価軸の上位概念であることが、審査委員全員の共通認識事項となりました。

しかし、ここでひとつ疑問が残るのは、組織委員会がこれほどこだわり続けた『展開力』にもかかわらず、問題発覚後に入手した応募要項「TOKYO2020大会エンブレムデザイン制作諸条件〈一般の部〉」には、『展開力』に関する記述がありません。提出物5項目のうちの「エンブレムデザイン案」をはじめとする4項目については【必須】と記載されているにもかかわらず、『展開』を示す項目の「大会デザイン展開アイデア」については、【自由提出】と表記してあり、【必須】と表記してありません。これほど組織委員会が重要視し、エンブレム作品選択の基準であり、審査の骨子となる評価軸でありながら【自由提出】という、提出してもしなくても良いという、本人の判断に委ねる曖昧な表現で表記されていることに対して、著しく違和感を感じています。なぜならば、この応募要項を読んだ出品者は『展開力』が重要視されているとは思わないでしょう。応募要項のなかで、『展開力』の重要性を説明しなければ、「大会デザイン展開アイデア」について積極的に取り組まないのではないでしょうか。出品者は国内外の指定されたデザイン賞に2回以上の受賞歴を有するという条件をクリアした実力のある人たちですので、応募要項のなかに『展開力』の重要性についての記述があれば、その条件に応えるはずです。

審査を振り返ると、『展開』『展開性』『展開力』を発揮していた一部の作品と、そうでない大多数の作品には、量的に圧倒的な差があったように記憶します。そしてそれが審査の加点に優位に働いたことは否定できません。出品者に伝えられた情報の量と質が同じであったのか、公平であったのか、スタートラインが同じであったのか、どうしてもこの疑念を拭うことができません。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める