034 負の連鎖……を断つために

2016年4月25日、五輪エンブレムが決定しました。2015年9月1日に初回コンペの1位案が白紙撤回となって以降、8ヶ月の期間を経て選ばれた五輪エンブレムですが、新国立競技場問題から始まって、五輪エンブレム問題、更に追い打ちをかけるように招致裏金問題と、五輪関連事業に次々と湧き起こる前代未聞の醜聞の成り行きを見守ってきた国民は、長期化する問題に疲弊しており、これ以上、新たな問題が起きることを誰も望んでおらず、収束を願う空気が功を奏したのか、良くも悪くも新五輪エンブレムに対する積極的な反応は起こりませんでした。しかしそうだからといって、仕切り直しのコンペが成功したとは言いきれないと思います。なぜならば、審査の具体的な内容や選ばれた理由など、公明正大なコンペと謳うのならば必要不可欠であるはずの説明がいっさいなされなかったことにより、不透明な審査に見えてしまったことは否めず、疑念や不信感を払拭することはできませんでした。都合の悪い事実が隠蔽されたまま結論づけられた前回コンペのいきさつと同様に、今回コンペの不透明さは後々までも影響し、五輪エンブレムに影を落とすことになり、エンブレムへの釈然としない気持ち悪さを払拭する道は絶たれました。組織委員会のみなさまの仕切り直しのコンペに対する並々ならぬ努力に疑いを持ってはおりませんが、ではなぜ大切なことを説明しないのか、記者の質問に答えようとしないのか、信頼を回復するために説明するという当たり前の努力を怠ったことの代償は計り知れないことになるでしょう。

言葉は事実に則ってこそ言葉の力を発揮することができるのであり、発信元が不都合な事実を隠蔽したり、情報操作のために言葉の力を利用したとしても、前回コンペの記者会見がそうであるように、どこかで矛盾が生じたり、論旨が破綻してほころびが見えてくるものです。そしてそのような詭弁を鵜のみにするほど国民は愚かではありません。故に五輪エンブレムの決定を祝福する空気は感じられません。国民の意見を聞くと言いながら、その実、そのことが反映されていないと見受けられる結果に対して説明責任を果たさなかったことで、信頼回復の最大のチャンスを自らの判断によって自らの手で失ったのだと思います。

折しも東京都知事による政治資金規制法違反疑惑が浮上しましたが、都知事の会見の背景には、決定したばかりの五輪エンブレムが連続的に配置されたインタビューボードが使用されているために、イメージの拡散と認知促進を目的としたバックパネルによるPRの手法があだとなり、都知事の記者会見が開かれる度に五輪エンブレムに疑惑のイメージが重なっていくという、新たな負の連鎖が始まりました。

このように問題が山積する状況下では、オリンピックのスポンサーとなったパートナー企業は、五輪エンブレムの取り扱いを慎重にならざるを得ないはずですし、各パートナー企業のホームページを見てみると、トップページに積極的に使用しているごく一部の企業を除いては、動向を見ながら慎重に取り扱おうとする危機管理の態度が見て取れる様相となっています。しかしながらそのことは、あながち悪いことではないと考えます。なぜならば、五輪エンブレム問題の元凶は、ロサンゼルスオリンピックを分岐点として加速する、オリンピックの本質から逸脱し、ビジネスモデルとして変貌を遂げたオリンピック・ビジネスの統御しきれない欲望がゆがみやひずみとなって表出したであろうということは多くの人の知るところであり、エンブレムが本来の目的から逸脱してビジネスツールと化していく中で、今改めて何のためのエンブレムなのかという、エンブレムの意義について考えていく必要があるからです。

日本のグラフィックデザイン界や広告業界の問題から端を発した五輪エンブレム問題という現象ですが、それぞれの立場で根本解決に向かう努力を怠ったことで、五輪エンブレムが決定した今もなお、気持ちの悪さは残ります。このまま未来に遺恨を残さないために、それぞれのかけがえのない人生のためにも、起きてしまった問題から眼を背けるのではなく、問題と真正面から向き合うことで失敗の経験は糧となり、負の連鎖を断つことへの可能性が生まれるのだと確信しておりますし、今からでも遅すぎることはないと思うのです。

平野敬子

平野敬子 デザイナー/ビジョナー コミュニケーションデザイン研究所 所長
白紙撤回となった2020東京五輪エンブレムの審査委員を務める